形のない想い・思想が大切な理由

日々の棚卸

 

私たちが生きていくためには、

モノが必要です。

まずは何より衣食住。

そして安全と安心。

 

求めるモノもランクがあって、

より安全なモノ、

より長持ちするモノ、

より人の共感を得られるモノ、

より尊敬を得られるモノ、

より目立つモノ、

より見栄えがいいモノ、

より子供に良いモノ、

より老後のためになるモノ、

それらの代替となる、

人類が生み出した万能手段としてのお金…。

これらを

生きる保証にならないか、と

生きる保証になると思い込んで、

生きる保証にしようとして、

求めます。

 

豊富なモノに囲まれる。

たくさんのお金を持っている。

私たちは、

どちらのシチュエーションも、

どこかで忌み嫌いつつ、

欲しいと懇願もしている。

そのいずれの気持ちもが、

親・家族の中で醸成されたもの。

でも、たとえ出所がどこだとしても、

いつかは自分で背負うことです。

そして、自分で背負うと、

生きる不安も大きくなる。

だから、もう一度、

形を変えて、生きる保証としての、

お金、仕事、地位、人のつながりを

求めようとする。

 

求めることは悪いことではありません。

それはそうですよね。

求めることが何かをわかっている、

というのは素晴らしい。

その分だけ、もやもやがなくなり

しっかりと目標ができるからです。

 

ただ、大なり小なり

葛藤と締め付けと破綻のある家族の中で

確立してきたものを基準に、

これまでにない何かを求めても、

それだけではどうしても

どこかで限界が来ます。

人によっては、

そんな基準を植え付けた相手に

責任を追及するのだ、と

おかしなことを始めることもあります。

しかしそれでは、解決しないどころか

自分の時間をただ浪費するだけです。

そこに気づけないうちは、

同じ場所をぐるぐると回りながら、

誰かに自分の人生を背負ってもらおうと

しているのですが、

そのことに気づいて、軌道修正すると、

自分に焦点を当てて歩み始めます。

 

続いて出てくるのが、

好きなこと。

やりたいこと。

得意なこと。

そこに解を求めて動き出します。

これで一歩、

自分の軸に近づく可能性が出てくる。

それで解決した人はOK。

ですが、なんか違う、しっくりこない、

そこに落ち着くことも少なくありません。

 

私たちの根っこには、

無力なままに生まれた自分を

自立した生命にするために、

自らに与えられてきたものを、

無意識に定着させた、

親や親代わりの誰かとの

愛着感と信頼が眠っています。

きっと多くの人が、

自分にはそんなものはない、

あっても忘れちまった、

そう思うかもしれませんが、

今あなたが五体満足に生きていて、

文句たらたら、

毎日ぐちぐち、

誰にもねちねち

毎晩めそめそ

としてでも

何とか日々を送っているのなら、

必ずあるものです。

そして、

無意識に潜っているそれらをベースに、

私たちは、日々、

動き、

泣き、

笑い、

よろこび、

怒り、

つながり、

衝突し、

自分の中に経験を蓄積し、また、

動き、

泣き、

笑い、

よろこび、

怒り、

つながり、

衝突し、

と繰り返します。

根っこにある愛着感、信頼の層の上に、

幾重にもそれらを担保する経験を積み、

歳を経るとともに成長し、

確固とした自分を形成していきます。

 

その根っこには、『想い・思想』があります。

もっとも、言葉で表現するには

あまりに感覚的というか

体の言語的なものですが。

ただ、だからでもあるのですが、

形のない自分の感情を肯定し、

表現したりすることもできるのです。

もちろん表現する状況は選びますが、

そのために自分の感情を

否定することはありません。

 

繰り返しますが、

根っこ・ベースとなる世界を

見つめ、

認識し、

肯定できる、

戻ることができる、

そんな想いがあることは、生きる力そのものです。

好きなこと。

やりたいこと。

得意なこと。

それらもまたさらに遡っていくと、

そこにつながっています。

 

世界が豊かになるにつれ、

今問われているのは、

見失われつつある、

そんな生きる力そのものだと

思えてなりません。

 

私たちの誰もが、

自分だけが劣っていたり、

自分だけがうまくいってなかったり、

自分だけが不幸に苛まれている、

と思い込んでいますが、

全くそうではありません。

評価と競争にさらされた日々の中で、

自分の根っこにある、

形のない想いや思想を見失って、

そういった生きる力が削がれている、

私はそう思うのです。

 

人は信頼し、信用できるもの、

つまり心を許せる何かを持っていないと、

とても生きづらい。

だからこそ、

心を許すことができるものが、

誰の内にもあることに

そして、見つけられることに

早く気付いてほしいのです。

 

朝でも、

夕暮れでも、

夜でも、

ふと一人になったときに、

静かに自分の内側を旅してみてください。

 

ー今回の表紙画像ー

『十五夜お月さん』

ちょっとした会合の帰り、電車の時間に慌てる駅の近くで、はたと思い立って撮った。手前の街路灯がまぶしすぎて、しみません。。。