続けることを受け入れるまで、『そこ』に向き合おう

日々の棚卸

 

続けること。

継続は力なり。

知らない人はいない言葉。

 

このブログでも、折に触れて、

 

望む方向への変化に必要なことを

継続することが何よりも大切だと

申し上げています。

 

例えば、

 

蓋をして見ないようにしていたり、

忌み嫌っていたり、

無視をして遠ざけたりしているうちに、

 

見失ってしまった自分と邂逅し、

受け入れる作業を続けること。

 

何者でもない、

自分が自分のままであることが

当たり前であることが当たり前である、

 

自分という存在の原風景とでもいうべき

そんな自分自身を蘇らせること。

 

頭・思考ではなく、

皮膚感覚、体感を大切にすること。

 

何度も後戻りしていいから、

不安を感じたらよい点を見てみること。

 

街中の自然に触れ、

そこにあるもう一つの世界を感じること。

 

一旦批判や怒りを脇に置き、

自分のことを自分の言葉で語ること。

 

何より、それらを

少しずつでいいから、

あきらめることなく続けること。

 

これまでに、伝わったものもあれば、

うまく伝えられなかったものも

あると思いますが、

 

『そこ』にある、

重石、闇、閉塞感、息苦しさ、

やりきれなさ、苛立ち、喪失感、不全感、

 

そういった感覚から、

できることなら逃げ出すことなく、

 

その裏側に置いてきてしまった

あなた自身ともう一度一体化するために

続けることを

 

拙いながら述べ“続けて”きました。

 

 

できること、やれること、した方が良いことを

書き連ねてきましたが、

 

自分を振り返ってみれば、

その位置にくるまでに、

随分遠回りしていた気がします。

 

『そこ』に居続けることは

とても苦しくて、辛い。

 

これに異を唱える方はいないはず。

 

誰が好んで、

 

重っ苦しい重石を感じて、

無力感に苛まれて、

焦燥感に動かされて、

 

生きていたいでしょうか。

 

忘れて、無視して、なかったことにして、

生きられるのなら、

これほど楽なことはありません。

 

でも一方で、

それらの“症状”は、前述のあなた自身を

切り離して生きるあなたが抱える無理を、

メッセージとして伝えているとすれば、

 

目をそらして生きるわけにもいかない。

 

というより、目をそらして生きたところで、

どこかでその無理が何倍にもなって

跳ね返ってきてしまいます。

 

もしかすると、

今がそうなのかもしれませんね。

 

これをわたしは常々、

“蝕まれる”と表現しています。

 

目をそらして生きるというのは、例えば、

 

毎晩浴びるようにお酒を飲み続ける、とか、

ひたすら人を悪く言う、とか、

反対にとにかく自分を責め続ける、とか、

 

馬鹿騒ぎで苦痛を感じないようにする、とか、

自分を偽って仕事にのめり込む、とか、

借金を繰り返す、とか、

 

それこそ、数え上げればきりがありません。

 

私たちは日常の中で、

誰もが多少は自らを偽って

生きているところはありますが、

 

一線を越えて無視を“続ける”ことで、

無視した存在が消えてしまうことは

そうそうないし、

 

仮に首尾よく消えてしまったときには、

 

先に述べたこと、つまり、

『そこ』にあるものを抱えたまま

あなた自身に何かをしてあげないのですから、

 

あなたはまるで、ロボットのように

自らの感情がマヒした生き方に

なってしまっているかもしれません。

 

 

『そこ』に居続けるのは辛い。

 

でも、『そこ』を見ないことにして、

生きる先には、

 

後戻りできないほど、

心身も人とのつながりも

そして自分自身とのつながりもが蝕まれた、

 

あなたにとっての最も望まない状態が

あるのではないでしょうか。

 

『そこ』を無視し、

メッセージを受け取ることなく、生きることは、

 

『そこ』から脱出するのではなく、

『そこ』にいつまでも居続ける結果を

もたらします。

 

自分を変えたいのに、

何をしたらよいか、

納得できるものが見当たらず、

 

ただ、日々『そこ』にあるものに

苛まれているとき、

 

最初に述べたことを含め、

いくつかの続けることに、

 

不安、上滑り感、空々しさを感じるのは、

最初は仕方ないのかもしれません。

 

しかし、『そこ』にあるものと向き合い、

自分としっかり繋がることを

続けた先にしか、

 

あなたののぞむ未来はないはずです。

 

繰り返します。

 

『そこ』に居るのはとても辛い。

 

でも、『そこ』と向き合うことは

あなたが『そこ』に居続けることを終え、

新しい世界へ歩み始めるスタート地点です。

 

見失った自分と邂逅するとも、

自然と触れ合うことも、

心の原風景を蘇らせることも、

 

無理に歯を食いしばって

行う必要はありませんし、

そうしなくても可能なことです。

 

あなたに宿った感情がどんなものであれ、

あなたを傷つけることはないと思います。

 

ー今回の表紙画像ー

『グラタン』

久々に作ってみた。見た目はいまいちだけど、うまかった。。。