一緒であるためにできること

日々の棚卸

 

私たちはほぼ例外なく、誰かと一緒にある。

そう思います。

 

いる、と書かないのは、

物理的に誰かと近いという意味ではないから。

 

でも、誰かと一緒にあることを

感じられない大勢の人が

今この瞬間も震えを隠して生きています。

 

その日の食料を得るために

必死になっていた昔には見えなかった

『耐え難い寂しさ』というものが、

 

この世の中には確かにあって、

日常の随所に埋め込まれている。

 

『耐え難い寂しさ』は自分の分身のように

絶望に形を変えて全身に広がり、

あらゆる感覚器を無力化することで、

 

誰かと一緒にあることなど、

あたかも虚像であるかのように感じさせ、

私たちを孤独に追い込みます。

 

それを感じたままではあまりに辛くて、

生きること自体がままならなくなるので、

 

私たちはいつもその劇的な感情に対して、

何かで蓋をしています。

 

蓋をする道具は、大きく二つに分かれます。

 

自分が認められようとすることと、

自分が逃れようとすること。

 

これら自体が悪いわけではありません。

 

蓋をする道具に使っているという、

自分の行為の意味を認識していないことが

想像以上に大きな問題なのです。

 

認識していないと、

そこに依拠してしまうからです。

 

仕事だったり、

お金を稼ぐことだったり、

年齢不相応な運動を続けることだったり、

 

といったことばかりでなく、

日常のこと、例えば単に

 

テレビを見続けることも、

音楽を聴き続けることも、

お菓子を食べ続けることでさえも、

 

本音を覆い隠すことはできてしまうので、

 

自分を成り立たせている本質が

定常的に傷つけられ続ける日常の中で、

自分を麻痺させてしまいます。

 

代償は、

 

鬱やひきこもりになって自分を追い込むか、

社会的な逸脱行為で自分を無視するか、

怒鳴り散らしたり軽蔑して他者を傷つけるか。

 

楽しいこと、嬉しいこと、ワクワクすることが

感じられればいいけれど、

 

それらは代償行為を行ったまま、

並行して実現することは、まずありません。

 

 

あなたに限らず、人は誰も、

自らの中に育まれた“愛着”に基づいて

人生を歩んでいるのだと思います。

 

例えば、

 

ずっとひたすら、つまらないはずの

雇われサラリーマン業務を続けながら、

家族を養っていることは、

 

その一つの例ではないでしょうか。

 

時に反目し合いながらも、

温もりを感じ、帰る場所としての家族の形を

守っていくために、

 

安定しているはずの給与と、

安心できるはずの心身のケアシステムと、

定年以降の生活を保証する年金、

 

この三つをセットに、

場合によっては耐え忍ぶばかりの

会社員人生を継続する原動力になります。

 

でも、

そこで生じる軋轢やストレスが元で、

 

大切な家族が、

大切な心身が、

大切な生活が

 

壊れてしまったなら、

最早本末転倒ですよね。

 

だから巷では、

そんな生き方を見つめなおして、

 

楽しく、ワクワクすることをして生きよう、

と言われるようになったのかもしれません。

 

これ、戦前からある活動みたいですね。

 

ですが、先述のとおり、

自分が心の底から感じられる、

楽しさも喜びもワクワクも、

 

未来の希望も、

新しい展望も、

 

そして、誰かと一緒にあることも、

 

あなたは今、

感じられているでしょうか。

 

もしかして、

誰かと一緒にあることを感じられないまま、

 

私にはそんな誰かなんていない!

 

と、憤りながら、

寂しさを覆い隠してはいないでしょうか。

 

一緒にある誰かとは、

もちろん一人であるとは限りません。

 

ある人がまるまるそうであることでさえ

ないかもしれません。

 

私たちの感覚、感情は、

自分を傷つけることも、

自分のために生きる原動力にもなります。

 

そのもっとも根幹に必要なことの一つが、

誰かと一緒にある自分を

感じられるようになることです。

 

繰り返します。

 

働くこと、あるいはお金を稼ぐことは、

特にそうですが、

そこに軋轢が生じてしまうと、

 

なかなか取り除くことが難しくて、

誰かと一緒にある感覚を

麻痺させてしまいがちです。

 

それはそのまま自分そのものをも

見失うことに他なりません。

 

だから、一番いいのは、

そんな状況が仕事のせいなら、

その仕事を辞めて、

 

それが夫婦間の決定的な亀裂なら、

その関係を清算して、

冷静に自分を振り返ることですが、

 

もし、そうもいかないのであれば、

半分だけその場所から降りる試みを

探ることが必要かもしれません。

 

そのために何をどうしたらよいのかは、

その時々の状況によりますが、

 

ともかくも、

その作戦を、自分の知恵と全神経とを

フル動員して考えるのです。

 

怒鳴り散らす上司、

過剰なノルマ、

モラハラ伴侶、

 

生活が成り立たないほどの低収入、

事実上崩壊している家族、

どうしても動かなくなる体と心、

 

他にも、麻痺させる様々な要素が

散らばっているでしょう。

 

そんな中で容易に自分を見失わないためには、

 

1.何が大切で最優先かをしっかり理解すること

2.大切なことを実現する策を練ること

3.練った策の実践を試みること

 

です。

 

一足飛びに解決はしないでしょうが、

自分が動く原動力を得るためには

必要なステップです。

 

ともすれば、自分を見失うということは、

自信をも失うことに他なりませんが、

 

逆に言えば、

 

ここまでそんな環境に耐えてきたあなたは、

それほど自分の人生を生きられるだけの

能力を備えている、

 

ということを、

証明してもいるのだと思います。

 

だから、原動力を得られた時には、

自由に羽ばたけるようになるはずです。

 

そのくらい、自分の愛着を形作ってきた

大切な誰かと一緒にある自分を感じることは、

あなたらしく生きる最重要なことなのです。

 

かつて、

 

屈託なく笑ったこと、

嬉しくて仕方なかったこと、

感動の涙を流したこと、

 

没頭した懐かしい活動、

当たり前に横にいた誰かの存在、

夢を見た未来の希望、

 

冬の夕暮れの買い物帰りを歩いた道、

冷たいアイスクリームを皆で食べたこと、

一緒に作った料理、

 

そんな大切なことを、

一つ一つ丁寧に思い出せば、

 

1ページや2ページでは書ききれないほど、

誰にでもあるのではないでしょうか。

 

今はもう、

 

どうしようもなく忌み嫌っていたり、

遠くなってしまったり、

どこにいるかもわからなくなってしまった、

 

あの人と過ごした時間の欠片の積み重ねが

あなたを作っているのは確かです。

 

喜びも悲しみも、楽しさも怒りも、

好きも嫌いも、愛情も憎しみも、

もう一度呼び覚まして、

 

あなたの心を形作る風景を

取り戻してください。

 

誰から何を言われようと、

格好悪かろうと、

みっともなかろうと、

 

それはあなたがあなたである所以の

あなたそのものなのです。

 

 

物心つく前に母親が他界し、

他に家庭を持って暴力をふるう父親が消え、

 

お金もないまま、

不自由な体で

孤独な幼少期を過ごした方がいます。

 

役所に保護され入院しましたが、

年齢を重ねる中で絶望し、

自殺も試み、

 

また保護される中で、

少しずつ自分を取り戻していきました。

 

ずっと大人になったその方から伺ったのは、

 

「一緒に入院していた大人たちは

みんなとても優しかったし、

 

役所が丁寧に保護してくれて、

体の治療もしてくれて助かった」

 

と言う言葉でした。

 

今を生きておられる

その方の話を伺うことで、

私の方が勇気をいただきました。

 

人と比べるのは良くないけれど、

 

私のこの程度の発信や

お会いする方へのサポートの稚拙さに

情けなくなることもあります。

 

でも同時に、

 

挫ける理由などどこにもないことも

そんな方との出会いへの感謝の念も

湧き上がります。

 

私は、

 

季節の移ろいを感じて懐かしむことも、

人のさりげない優しさに感動することも、

何かを試して喜んだり悔んだりすることも、

 

できます。

 

仲間との間で与太話をして、

笑ったり気分を害したりすることも、

 

他界した両親に感謝したり、

未だにむかついたりすることも、

 

ちょっといけない想像をして

ほくそ笑んでしまうことも、

 

汗を流して自家製の美味なレモネードを

一気に飲み干すことも、

 

こうやって拙ブログを見てくださる

あなたとつながることもできます。

 

どうもありがとう。

 

また、発信しますね。

 

ー今回の表紙画像ー

『夏が終わったはずの夏の青空』

久々…でもないけど、飼っているウナギ君の餌を取りに川へ行きました。

鮎師の方々が川に使って釣りをしていましたが、連休中日の割に人の姿がまばらだったのは、やはり気温のせいでしょうか。

本流へと流れ込む細い支流に入り込み、

流れの中にできたたまりを覗き込むと…、

ついこの間生れたであろうチビたちが元気いっぱい群れていました。しばらくそこでノンビリ。気温は高かったけど、風が気持ちよかった。。。