花粉症の季節はとうに過ぎましたが、
最初に少し花粉症の話を。
少なくない方がこの症状に悩んでいます。
春3月の杉檜、
夏から秋のブタクサ、
その他にもいくつか。
ああ、もう何というか、
文字にするだけで、
あの忘れかけていた
何とも言えないかゆみとだるさとが
体に甦ってくるよう…。
実はこう書いたとおり、
ある頃から私は花粉症に
苦しまなくなりました。
方法は、
食事を変えたり、
住環境を変えたり、
心の持ちようを変えたり、
生活習慣を整えたり、
症状に対して有効だと理解したことを
いろいろ実践したことです。
入手した情報を取捨選択し、
納得したことについて
愚直なまでに実践しました。
ですが何年もの間…
何というか、症状は毎年悪化するばかり…。
悩みました…
人の体の細胞は4週間で入れ替わると
書いてあったのに、
何か月経っても何の変化も感じられない。
今ググってみると、
細胞の入れ替わりは、
血液が4か月、
骨は3年と書いてあるので
体の部位によって違うんですね。
ともかくも、
変化がない、ではなく悪化する、
という状態に、
年齢のせいかな、
もう元には戻らないのかな、
と半ばあきらめていました。
特に、
改善する前の2年間の症状はひどくて、
涙ボロボロ、
鼻水ダラダラ、
鼻の穴はかゆくて
眼もかゆいといった諸症状に加え、
発熱、抑鬱の増大、胃腸の不調など、
本当に苦しみました。
2月くらいから軽くない反応が
でるようになって久しかったのですが、
ある年の3月が近づいて、
ああ、今年も来るんだなあ、と
気が重くなりながら、
薬とマスクと眼鏡とを準備して
症状が出るのを待っているうちに、
気がつくと、
…花粉症の季節が過ぎて生きました。
それは本当に拍子抜けするほどで、
以降、症状で苦しむことはなくなりました。
もちろん、今もマスクはしますが、
時には外して散歩を楽しんだりします。
春特有の風の音や匂いに
身を置けるようになりました。
嬉しい反面、直前の2年ほどのあの症状は
いったい何だったのかと不思議にも
感じています。
★
米国の臨床心理士テレンスリアルは
鬱病を
「隠れた鬱病」と「表面化した鬱病」の
2種類に分類しています。
統計によれば、
女性は男性より鬱病の罹患率が多いことが
各国の医療から報告されていますが、
この報告における鬱病とは、
一般的に知られる諸症状、
つまり、
朝起きるにも苦労したり、
際限なく自分を責めて
身動きできなくなっていたり、
各種の欲求を感じなくなっていたり、
明らかに行き過ぎた自罰感情で
苦しんでしまう、
といったことを指しますが、
リアルはそれを表面化した
鬱病と呼んでいました。
そして、責める自分や忌み嫌う自分を
見ないようにするために、
逸脱した馬鹿騒ぎを繰り返したり、
他者に責任を転嫁して腹を立て続けたり、
お酒や薬で繰り返し自分を痛めつけることで
本来感じるべき感情を麻痺させたり、
仕事や運動に入れ込みすぎたり、
している状態を、
隠れた鬱病と称しました。
そしてこの「隠れた鬱病」と
「表面化した鬱病」の合計を
鬱病と定義すると、
発症の男女比は
変わらなくなると言っています。
彼が鬱病を治療する際、
まず視線をそらしていた(隠していた)、
際限なく、容赦なく自らを責める自分と
きちんと対面させます。
続いて、
いわゆる鬱の諸症状を呈する自分と向き合い、
そこから通常の鬱病の治療に入り、
塞ぎ込み、動くことが困難になるほど、
根拠のない自罰に苦しむ必要はないこと、
生きることは信じるに足るものであり、
世の中は信用できるに足る世界であることを
認知、体得させます。
ここでいう、
自らを責める自分と対面することが
鬱病を表面化させます。
そこで深堀と内観が進むことで、
クライアントは涙を流し、
自分を労わる真実を見出します。
鬱病を隠すために利用する
あらゆる物質や行為を、
彼は、
崩れかけていた自尊心を仮初に保つための、
自尊心の人工透析と呼んでいます。
人工透析をやめ、
しっかりと向き合った自分の中に、
大切な想いが歪んだ形で表れて、
自らを苦しめていることを知ることで、
どう生きればよいか、
肌感覚で理解できるようになるわけです。
★
家族のカラクリと有難さに気づく直前、
私は、家族、というか父母を
憎みに憎んだ時期がありました。
なぜ、あなたたちは家族を壊した、
なぜ、あなたたちは勝手に命を絶った、
なぜ、…という
際限のない、そして答えのないWhyと
それに答えられないであろう彼らへの
率直な感情だと思っていたのです。
その感情を自分の中でとことん咀嚼し、
その奥に潜むもう一つの事実、
それ、つまり憎しみや怒りが、
実は、自分自身へ向けられた
自分の感情だと気づいた時、
それまでそこに、
つまり非難を続ける世界に
意地でも留まり続けようとしていた
自分の目の前に、
新しい解釈と現実があらわれ、
親と家族が与えてくれたありがたみに
涙を流すようになりました。
その変化はとてつもなく急激でしたが
しかし、しっかりと連続して
つながったものでもありました。
並行して、
自分が新しくなる直前、
古い自分にこだわりにこだわっては
人との間に衝突を引き起こしていました。
最後の方は二進も三進もいかないまま、
自動的にそうしていると言った感じでした。
それが見失った何かを取り戻そうとする
見当違いの行為だと気づいた時、
古い自分の不要な部分への気づきと
そこに留まる必要性が
すでになくなっていたことを感じました。
変化は怖いです。
誰もが想像するよりずっと怖いです。
でも、行き詰ってどうしようもないなら
迂回でも別のルートでも進めばいい。
だいたいゴールなんて実は
あってないようなものなんですよね。
★
花粉症の症状が劇的に改善する直前、
とことんまで症状の元と対峙して
いたのかもしれません。
こちらがこだわる治療によって、
意地になっている間は症状は治まらず、
もういいかと感じて
初めて症状の改善が見られた。
何かと繋がっているみたいですよね。
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『プチマイブームのお菓子』
ああ、蒸し暑くなってまいりました。。。
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