眠れない夜に関しては
何度か同じようなタイトルで
書いたことがありますが、
思うところがあり、
あらためてお伝えしたいことを
記してみました。
★
眠れない夜。
時に、
誰にも訪れる時間だと思います。
これまでに書いてきた内容を含め、
総じて言えるのは、
眠れるようにいろいろと試してダメなら、
眠る努力をしようとしないのがよいということ、
そして、眠れないということは、
その原因足りうる問題があるのなら、
その問題はあくまでトリガーであって、
その奥に無意識を含めた
生き方そのものから生じて、
まだ言葉や感覚になれなかったりして
うまく表現できていない“何か”を
意識化しようとしているという
無意識の働きが起きている、
ということです。
眠るための様々な試みが無駄だ、
と言っているわけではありません。
眠りたいのは事実で、
翌朝への影響を考えれば、
眠っておいた方がいいのは事実だから。
軽めの運動をして汗を流したり、
ゆっくりと温めのお風呂につかったり、
眠る2時間前からは
スマホを見たりしないようにしたり、
眠る前には自分を労う言葉を
心に響くようにつぶやいたり、
といったことは、
必要なら行った方が良いけれど、
それでも眠れない夜に身を置くことが
ままあるものですよね。
先に無意識に触れましたが、
無意識は正直である、
と言っていいかもしれません。
というより、
フェイクを司る機関はなく、
ただ事実・真実を記憶していて、
それをそのまま伝えている、
ということかな。
脳は体の一部であるにもかかわらず
思考する部位として
四肢体躯と切り分けられていて、
身体がどれほど疲れていても、
脳、マインドと胴体や手足や
そういった頸より下の機能の働きを
分けているのが人の身体全体の構成です。
眠れない・不眠は、だから、
起こるのでしょう。
余談ですが、
金縛りはある種、類似の現象なのかも
しれませんね。
普段生活の中では、私たちの脳は
意識にのぼったこと、あげたことによって、
世界を構成して見ていますが、
時間がなかったのか、
無意識に遠ざけたのか、
忘れてしまったのかはともかく、
本当は自分にとって
最重要なことや
ずっと気になっていた人、
出来事、
未来の可能性などが、
今の自分に問いかけてきていたりすることは
ごくあることで、
でも言葉を持たない彼らが、
身体に働きかけてきたり、
症状になってあらわれたりしていることもまた
よくあることです。
もちろん、年齢の変化によって
純粋に疲れがたまりすぎて眠れないとか、
遅く起きて眠れないとかもあるので、
全ての不眠がそこにつながる、
というつもりはありません。
ただ、
身体が眠りを欲しているにもかかわらず
眠ることができない、
時にはそれが長く続くのは、
生き方そのものに対するメッセージと
受け止めると納得がいきます。
今、何となく流れている日常は
本来の望みをどこかに
置き忘れたものではないか、
日常の中に何かを
見ないようにしていないか、
もっと考えたいこと、
実施したいことがあるのではないか
そういったことですね。
どんなことかはわからないし、
だからと言って
今すぐ仕事を変われとか、
生活そのものを見直せ、
ということでもありません。
でも、もし、
ふと思い当たること、
想い出せたこと、
気づいたことがあるのなら、
それは時間を自ら作って
(空いた時間に、ではありません)
行動することです。
訪れたい場所、
会ってみたい人、
試してみたいこと、
連絡が途絶えていた人、
身体や心の手当、
聞きたい・与えたい言葉。
これらが人によって異なることは
間違いありませんが、
一つだけ共通していると思われるのは、
お金持ちになりたいとか、
社長になりたいとか、
名声を得たいとか、
そういった社会的な評価というか、
一般的な成功物語の中で取り上げられる
うまくいった話ではないのではないか、
ということです。
やりたいことをビジネスにしよう、
などと言われて、
うまくいかない人は少なくありません。
もちろん、
そこで取り上げられる“やりたいこと”は
決して嘘ではないでしょうし、
それを否定する必要もありません。
しかし、そういった成功物語の前に
ある種の満たされた『前提』が隠されていて、
本来それは、
共通項でくくりづらかったり
するものです。
そういうことを考え、実行するのが
悪いわけではありませんが、
あるいは
日々汲々として過ごすのだって
一つの人生ではあるわけですが、
そんな中で眠れない夜が
生活の中に訪れてきたのなら、
私たちの意識を超えたところから
『与えられた』時間と症状だと
受け止めてみることが
良いように思えるのです。
資本主義の気運が産業革命を起こした、
という解釈は、
私たちが学校で教えられることとは
逆説的な表現になりますが、
それは個人が神様と契約されている
キリスト教の世界で言えば、
非常に抽象的で厳格なドグマが支配する
社会の中で、
利潤が否定された社会から
隣人愛の結果として得るそれは
神の意思に叶うことである、という、
解釈のコペルニクス的転換が
起こった結果、生じた社会とも言えます。
個人的には、
そこで語られてない前提があると考えています。
それが無意識を通して眠れない夜に
あなたを訪れ、
問いかけていると思うのですが、
眠れなくなるほど考え過ぎでしょうか。
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ー今回の表紙画像ー
『春が来た』

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