そこから出よう

日々の棚卸

 

人の輪の中にいると、

それが会社のような組織であれ、

家族のような共同体であれ、

 

そこに居ることを『是』とするように

心(情動)が機能しがちになります。

 

もちろん人にもよりますが、

往々にして、

本来自分の居場所を見つけることを

自らに問われている人に見られる

傾向ではないかと思います。

 

勝手に(!)出歩いて、

勝手に(!)居場所を見つけて、

勝手に(!)楽しんでいる人には

あまり見られませんよね。

 

理想的な居場所の見つけ方が

あるのかはわかりませんが、

 

アレをしたい、

アソコを目指したい、

という自らの内にわきあがる

前向きな牽引力があると、

 

つまり

そういった欲動を自分の中に

見出すことが度々できて、

 

かつ、

 

自分を大切にする

=自分の欲求に従って

行動することで

 

自分に合った居場所を見つけ出す、

あるいは

居場所と出会いやすくなるからです。

 

 

実際のところ、

自らの欲動を察知したとしても

なかなか動ける人ばかりではない、

というのが本当のところではないでしょうか。

 

かく言う私もその一人ですが。

 

しかし、今の場所に留まったまま、

次の場所を見つけるのは大変です。

 

一つの部屋を出てその扉を閉めないと、

次の部屋の扉があらわれない、というのは

よく言われる通りだからです。

 

次のドアは、今ある扉を閉めないと

あらわれないということですね。

 

これはどういうことかと言うと、

ただでさえ自分の居場所を

感じられない人が、

 

仮初の居場所さえ

自ら手放す行為だから、

ある意味とても怖い!

ということです。

 

つい、無意識のうちに

“そこ”に居ることを正当化する感情を

自らの内に湧きださせて

選択してしまうのですよね。

 

しかし、

必要以上のストレス、

自分らしさを削がれるストレスが続き、

 

それを乗り越えるのが難しいのであれば、

自分を守るために、

安全な領域に逃げる必要があります。

 

自分の耐性も人を変えることも

限度があるのだから、

 

逃げる、ということは、自分を守るために、

とても大切だという認識が意外に

知られていませんが、

 

そこに居ることを許可されている、

という意味の安定、

 

会社なら給与が得られるという意味の安定と、

心の安定、メンタルの安定は

全く別次元の話です。

 

安定した給与を獲得する代わりに

精神を不安定にしていることは

実は少なくありません。

 

不要に攻撃される、ハラスメントを受ける、

ということが、

 

強者、例えば

 

高い地位にある人、

お金をたくさん持っている人、

筋力が強い人、

采配を牛耳っている人、

などから弱者へ行われると、

 

生きる力が削がれることさえあることは

ちょっと想像を働かせれば

わかることではないでしょうか。

 

ヤル気の問題という人もいるようですが、

 

家族のように好きで一緒になったり、

一緒に互いを認めて生きていくはずの

関係であれば、

 

ヤル気を前面に持ち出して

親から子へ、夫から妻へ、

力をぶつけるのは

明らかに筋違いでしょうし、

 

会社のような営利集団であれば、

 

そこでの使命感なりやりがいなりで

業務に従事していたとしても、

やはり程度の問題です。

 

私たちは、気概と横暴を往々にして

混濁しがちになります。

 

例えば、

 

昔、ホワイトプロパガンダというワードが

一世を風靡しました。

 

いかにもそれらしきことを

確かな情報であるかのように

説明しているけれど、

 

一歩引いてみれば、全体の中の

極一分だけを取り出して、

それがあたかも全体であるかのように

な宣伝をして

 

顧客を目くらましにして引き付ける

手法というかレトリックです。

 

これに類するわけでもありませんが、

ホワイトパワハラという用語が

昨今巷を賑わせています。

 

正論を丁寧な言葉で述べているけれど、

一歩引いてみればただの揶揄、嫌み、蔑みを

相手に向けてぶつけているに過ぎない、

他に受け取りようがない表現のことです。

 

丁寧な態度のモラハラとも

言えるかもしれません。

 

脅されたり、罵声を浴びせられたり

しているわけではないから、と、

まともに受け取っていると、

心が壊れかねないことさえあります。

 

ですから、そこから出ていくことを

第1に検討し、実行することが

求められます。

 

 

DV(ドメスティックバイオレンス)、

という言葉が世に出てから

しばらく経ちました。

 

通常は夫が妻に、大人が子供に

ふるう家庭内暴力を指して

使われる言葉です。

 

先に書いたモラルハラスメントも、

そのイントネーションからは

想像がつかない、

 

残酷な陰険な破壊力で

相手にダメージを与える

行動の一種で、

 

その影響はDVに引けを取りません。

 

ちなみに、DVに関する報告で、

米国の心理学者ウォーカーが述べた

「暴力の三相サイクル説」

という説があります。

 

DVが夫婦という家族システムで

『維持』されるメカニズムが

3つの相から成り立っていることを

説明しています。

 

夫が妻に暴力をふるうケースでは、

 

妻が自分の思うように振舞わないことに

夫が緊張と孤立感に悩む(第1相)、

 

それを見越した妻が夫のケアをして

夫をコントロールする力が

あたかもあるかのように錯覚するも、

 

それが破綻して

夫が妻に暴力をふるう(第2相)、

 

その後、暴力により緊張と孤立感を

放出した夫が、自らの行為に愕然とし

悔いて妻に詫びる(第3相)、

 

の3つの相です。

 

最後第3相では、

妻に謝り、妻を労わり、

妻がそれを愛の表現として受け入れることで、

 

実は、このDV関係そのものを

持続することになるとしています。

 

最後の夫から妻への謝罪と労わりこそが

夫の緊張と孤立感を再燃させるから、

という論理によるそうです。

 

第1相、第2相では

ハラスメントを受ける妻の

緊張と孤立感も高まりますが、

 

これに続く第3相の結果、

その関係を断ち切り出て行った妻たちは、

そこに留まることを選択した妻より

最後の第3相における緊張感が

圧倒的に高かったと報告されています。

 

自分が受けたひどい仕打ちが

明らかにおかしなものであり、

直感的にその関係性そのものの病理性を

見抜いていたからだと考えられます。

 

“直感的“を”勇気をもって”と言い換えれば

今の自分が置かれている状況に

当てはまるところはないでしょうか。

 

 

米国の心理学者である

マーティン・セリグマンの

学習性無力感という有名な実験では、

 

逃げられないような状況におかれた犬に

小さな電気ショックを与え続けると、

最初は逃げようとしていた犬は

やがて鳴き声を上げるばかりで

逃げる行動をとらなくなる、

 

そして途中から逃げ道を用意した後も

同じように苦痛の中に留まり続ける、

という結果が出ています。

 

「どうせ何をしても無駄だ」

と学習してしまったためだということが

理由です。

 

同じことが人にも起こっています。

いかがでしょう。

 

何かをしようとしたときの効果と

自分を信じられなくなっていて、

行動が起こせなくなっていることは

容易に想像できます。

 

限りある命と限りある人生の時間を、

自分を貶める場所に留まる必要などありません。

 

何をしても無駄、ということなど

決してありません。

 

意を決して、動くことを繰り返す中で、

変化は必ず訪れますから。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『城ヶ島岸壁から三崎を望む』

3年ぶりに城ヶ島へ行った。

南風が強かったが潮風に吹かれて良い気分転換になった。

空を見上げると、なんだか不思議な雲があちこちに

浮かんでいて、思わずパチリ。