親を幸せにすることを能力の基準にしていた

日々の棚卸

 

自分にとっての幸せとはどういうことか、

考えたことはあるでしょうか。

 

多くの方が一度は

考えたことがあると思うのですが、

 

どのくらい頻繁に、

どのくらい真剣に、

どのくらい現実的に

 

考えられたでしょうか。

 

自分にとっての幸せを、

明確に断定的に語ることが

できるでしょうか。

 

いや、そもそも幸せとは、

明確に断定的に語ることが

できるものなのでしょうか。

 

★

 

とても多くの方が、メディアの情報や

古い時代から続いている

世の成功物語の中に

幸せを見ているように思います。

 

自分はそんなことない、

そんな成功物語なんて大仰なものは

持っていないという人でも、

 

収入やステータス、ネームバリューに

ちょっとしたマイホームや

人によっては少し良い車を持つことを

幸せにつなげていたりしないでしょうか。

 

こう書くと、

何だかそういったものを得ようとすること、

それが幸せに繋がると思うことが

悪いことのように読めてしまいますが、

 

別にそういった考え方は

決しておかしなことではありませんし、

それほど無理せず得られるのなら

それはそれでよいと思うのです。

 

ひるがえって…

 

親が他界するまでの間、

私にとっての隠れた、

そして何としても達成したいこと、幸せは

母親を幸せにすることでした。

 

『隠れた』、と書いたのは、

若い頃の、いえ、心理の世界を理解し、

ある程度回復した後までも、

私は世の評価など不要と思い込みながら、

その世界から逃げ出すこともできないまま、

結果として評価されるように生きながら、

 

それが先述した、

母親の幸せにつなげようとする行動だったと

気づいていなかったということです。

 

平たく言うと、私自身もまた、

世の評価を求めていたということです。

 

大きな会社に入りたかったわけではないし、

社長になりたかったわけではないし、

大金を稼いで

豪邸を立てたかったわけでもなく、

世の中に自分の名声を轟かす意識など、

微塵もありませんでした。

 

ただ静かに町の片隅で暮らすことを願い、

日々を過ごしているだけだと

当時は思い込んでいたものです。

 

それと矛盾するような世の評価を

どこかで何かの基準にしていて、

それが母親を幸せにすることにつながる…

かもしれないと思っていたことに

気づいたのは、

自分を回復させる道のり半ばでのことでした。

 

母親の暗黒に取り込まれることを怖れ、

長い年月遠ざかりながら、

よくよく振り返ってみれば

 

何をするにも何を考えるにも心のどこかで

世の評価を得ようとして、

それが、母親の幸せにつながることを

祈っていました。

 

何度か、怖れを乗り越えて

独りで困っているかもしれない母親に

会いに行って助けることを考えながら、

 

自分と母親の間に必要なことは

彼女の回復を信じて

遠くから見守ることだと思い込み、

 

彼女ならきっと元気になって

自分の人生をもう一度歩み出してくれる、と

勝手に思い込んでいたのです。

 

実際には、

 

先ほど、

「母親の暗黒に取り込まれることを怖れ」

と書きましたが、

 

近くにいると互いの距離が取れなくなり、

母親の泣きごとに

正論をぶつけてしまいながら、

最後はうまくいかないまま、

自分の心が取り込まれてしまうことを

怖れてもいました。

 

母親は結局、息子の私と再会した頃から

他界するまでの数年間で、

自分を責めたりする状態から

自分と和解して生きだしたように

見えました。

 

先のとおり、

私もまた自分を取り戻すのに必死で、

そんな時に母と一緒にいれば

巷のニュースではありませんが、

互いに絡めとられながら、

良くない状態に陥っていた気もするのです。

 

親にとっての子供とは、

生まれてから数年の間に

限りない幸せを与えてくれていて、

親孝行というのは、

その時点で十分行えている、と、

年配の方から教えていただいたことも

あるのですが、

 

私はと言えば、母親の死後、

何も恩返しできないまま死なせてしまった

というような悔いを長く持っていましたし、

今もその感覚が

完全に消えたわけではありません。

 

その一方、

悔いを持った世界に浸り続ける中で、

現実の世界と乖離したまま生きてしまい、

それがどれほど自分の自信を削り取り、

寂しさと動きのない世界に閉じ込め、

日々を追い詰めるかを

実感してもいました。

 

そんな状態の自分として、

典型的なマザコンだと言われれば、

その通りかもしれないし、

それに反論するつもりもなければ、

そうである自分を軽蔑することもありません。

 

ただ、その世界観の中で生きることで、

自分で自分を追い詰めてしまい、

日常を立ちいかなくさせてしまうのだと

強く感じてもいました。

 

母親、いえ、自分以外人の幸せは

自分のコントロールの外側にあるものです。

 

残念かもしれませんし、

ホッとする方もおられるかもしれません。

 

ですが、身体の感覚を理解して

悔いを持った世界に浸る日々を

切り離さない限り、

見失った自信は蘇りません。

 

余談というわけでもないのですが、

案外、結婚しない人、子供を持たない人が

増えた理由の一つには、

 

仕事にしてもお金にしても人間関係にしても、

自分のコントロールの外側にあるものを

コントコールできると思い込んで

コントロールしようとすることで

披露しきっていることもあるのかなと

思う時があります。

 

好きなことをして生きていくというけれど、

大切な人を守り幸せにすることは

最大の好きなことのはずですが、

 

好きなこととできることは全く別です。

そう考えていかないと

自分のことに自分として

責任を取ることはできません。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『川べりから見上げる青空』

悩んでいるとよく歩いた川の土手。

物心ついた頃から全く変わってない。

のんびり歩くと、風が夏の終わりを告げてたような。