焦るあまり、混乱するあまり、
しなくてもいい矛盾した行動を
取っていないでしょうか。
★
仕事であれ、人の関係であれ、
自分にはどうしようもないと感じるような、
問題を抱えて、
それが長引き、
解が見えない状況が続くと、
2つの状態が現れます。
1つはその問題がないかのように
ふるまうことです。
一般には、その中にのめり込んだり
代用手段を使ったりして
感情を麻痺させることが
よく行われます。
私たちの心は自分たちが意識する以上に
目まぐるしく変化していて、
お酒や薬物やお菓子などのモノを使ったり、
ゲームやセックスや買い物などの行動に
のめり込むことによって、
本来見るべき問題があたかもないかのように
日常を過ごすわけです。
念のため申し上げますが、
感情を麻痺させる行為は絶対悪では
ありません。
時に、一時的にしのぐために
必要な時もあるからです。
もう1つは状況を変えようとして、
動くことです。
先の、感情を麻痺させることより、
もう一歩自分のために進もうとしている
わけですね。
本能が危険を察知して
何とかその状況から抜け出そうと
あがくようになっているわけで、
格好よくいくとは限らないけれど、
安定した不快さ、
あるいは
安らかな不幸、
という環境を
自分の意思で変えていこうとします。
心が追い詰められていて、
やがて、体に症状が出て、
そのままでは生命さえもが
危ぶまれさえすることを
察知しているのだから
ごくまともな行動とも言えるかもしれません。
それが、
逃げ出したいという消極的な理由であれ、
やりたいことをやろうという
積極的な理由であれ、
(と言ってもその2つはコインの裏表的な
場合もあるのですが)
今とは違う“何か”をしようとしているのです。
★
さて、その一方で、
心も体もくたびれてしまっていて、
何とか休もうともすることもあります。
自分でもなぜかよくわからず、
いったいどういうことなんだろう、
となってしまうのです。
少なくない人が、
そんなアンビバレントな自らの状態に
意外なほど気付いていません。
何を求めているかもわからないまま
何かをしているのだけど、
時間ばかりが過ぎていき、
後には何も残らない、
そんなことになっていたりします。
自分がそんな状態になっているかどうかを
見分ける指標は以下の2つが考えられます。
1つは定期的に訪れる休日を想像して
ホッとする気持ちになれるか、
さあまた頑張ろうかという気になれるか、
ということです。
例えば、土日が休日の
いわゆる会社勤めの人なら
気がつくとあっという間に
週末が終わることが続く、
そんな1週間を続けながら
心身の疲労がたまりにたまります。
疲労の中には、
膨大で先の見えない仕事だったり、
自分自身を追い詰めるような
どうにもならないような人の関係だったりが
続く中でたまるものがあって、
それは時間をとった休息だけでは
どうにもすることはできなかったりします。
やがて、休息となる週末が訪れることに
安堵の感覚を覚えなくなり、
最後には、
解決策が見えないまま過ごす休息の時間に
苦痛どころか絶望に近い抑鬱をさえ
感じるようになってしまいます。
無力感に苛まれるのですね。
もう一つも休暇に纏わることなのです。
GWや夏休みなど、
名目は何でもいいのですが、
1週間や2週間の休暇が取れたとして、
その時間を何かをする予定が
心から求めることがあるだろうか、
ということです。
なぜか、
計画的にあれをやってこれをやって、と
長い休暇の毎日の予定表を
埋めることはできるのですが、
それによって、
自分が求める未来を見出すことも、
心安らぐことも、ワクワクも、
もちろん達成感も感じられないということが、
容易に、
しかも理屈を超えて感じられるとき、
やはり同じように、
無気力・無力感に包まれてしまうものです。
しかし、です。
解決策はあるのです!
なぜなら、現状は、
内発的に湧き上がるものがないために
常態化しているはずだからです。
最初に求めるのは、
何かをやる前に、
何かを求める力が湧いてくる素地が
崩れてしまっていることに
気づくことです。
そんな状態で何をしようとしたところで、
歓びも感じられなければ
それが本音かどうかもわからず、
ただ計画したことを機械的に、
一つずつこなしていくだけの時間に
なってしまっているからです。
ならばその時間を文字通り休む、
それもちょっと、
ではなく、
しっかりと。
睡眠をしっかりとって、
適度に身体を動かして、
食事をとって、
自分に肯定的な声をかける、
それを何度も繰り返す。
そんなことわかっているという人は
きっと最初に述べた
アンビバレントな状態に気付いていない
人だと思います。
休息と行動を同時に行おうとして、
両方とも十分できていないまま、
まるでケージの中を走り続ける
ハツカネズミのようになってしまっている
のではないでしょうか。
かつて、
親から与えられたかもしれない愛情を
あるいは、
どこかで感じることができた
そのままの自分で居られた
当然という名の歓びを、
自分自身の世界の中で自分が自分に
与える感覚として感じて、
それに沿って生活するようになって、
ここからが重要なのですが、
それがしばらく続く中で、
ようやく、
自分が愛するに値する存在であることを
自分で感じ取り、
それが内発的に、
自分の本音を湧きださせるのです。
休む、
生活を整える、
身近でささやかな楽しみを楽しむ、
そんな中で、
それまで
アクセルとブレーキを同時に踏んで
黒煙が上るほどにタイヤをすり減らし、
ハンドルはきかず
誰かに操られるような自動運転になって、
どこに向かおうとしているかもわからない、
そんな状態が変化します。
まず止まる、
安全な場所に停める、
休む。
まずはそれからです。
MDL(My Dear Life)の概要を知りたい方はこちらへお越しください
https://nBkBtBnihidetBkB.com/meeting/
個人の相談はこちらへどうぞ
https://nBkBtBnihidetBkB.com/business/
ー今回の表紙画像ー
『福浦から夕暮れの東京湾を望む』
国立研究開発法人 水産研究・教育機構の一般公開に行ってきた。
子供が主役の場だったが、講演会や展示物は興味津々で見てきた。
当初2時間ほどの予定が、気づくと閉館の16時までいることに。
帰りのシーサイドラインの前方から見た夕陽。

最近のコメント