動かない身体をどうにかしようとしない

日々の棚卸

 

今はもうよほど疲労していない限り

そういうことはなくなったのですが、

 

昔、一度ならず、

どうしようもなく体が動かない

ことがありました。

 

高校生の頃に一度、

大学生の頃に何度か、

社会人になってからも何度か、

 

特に運動のし過ぎとか、

睡眠時間が取れなかったとか、

もちろん勉強・仕事のし過ぎとか、

 

というわけでもないのに、

あれ、と思うほどに、

身体が言うことを聞きませんでした。

 

身体がついていかないというのでもなく、

ただ、どうにも体を動かせない、

という症状。

 

30歳くらいまで続いていたと思います。

 

朝起きた時に起こることより、

何かの作業の小休止の後に動こうとして、

起こることが多かったと思います。

 

一度起き上がって動き出せば、

後は何とかなったのですが、

 

最初のワンアクションにどうしても、

入ることができません。

 

というより、指令(意志)を受診することを

身体が明らかに拒否している…。

 

季節や状況を問わず起こるわけではなく、

大方は不得手なことをやらざるを得ない時や、

何かがうまくいかずに追い詰められた時で、

 

動かないと解決しない時を狙うようにして

症状が出てくるため、

悩んだ時期もありましたが、

 

その頃の私はと言えば、

文字通り心身にムチを打ち、

無理やり動いていうような状態でした…。

 

動けない自分を心の中で叱咤し、罵り、

自分の頬を張ったり、

熱湯に入って強制的に身体を覚醒させたり。

 

あらゆる方法は無条件に否定する必要は

全くないと思いますが、

 

この症状が出ていた頃の私にとって

必要な方法だったかと言えば、

きっとそうだったのでしょう。

 

今からすれば明らかにNoなのですが。

 

このような症状は、もしかすると

脅迫神経症的な一種に入れてしまった方が、

自覚出来ていいのかもしれません。

 

 

心理カウンセリングにかかわり、

自分の過去を棚卸しする中で、

 

それまで足を向けることのなかった場所へ

出かけるようになりました。

 

かつて自分が自分のままでいた場所ですね。

 

例えば、海に、

例えば、山に、

例えば、街の散策に、

例えば、都心の映画館に、

例えば、絵画展に、

例えば、ショットバーに、

例えば、仲間の集まりに。

 

一番よく出かけたのは、

家からそう遠く離れてない、

町はずれのちょっとした川のほとりです。

 

護岸整備されているところもあれば、

土や木々が水際までせまったところも

ありましたが、

 

いくつか落ち着ける場所を見つけて、

そこで釣り糸を垂らすことがしばらくの間、

日課とまではいきませんが数日課になりました。

 

家族と共に出かけていた頃から、

十年以上も釣り竿を握っていなかったので、

仕掛けを思い出すのさえ一苦労でしたが、

 

やりだしてみると、やっぱり面白い。

 

今に至る釣りの『再開』は

そうやってはじまりました。

 

自分を叱咤する日常を離れ、

体が動かなくなる症状が薄れ、

静かな緑の中でウキを見つめていた、

 

そんなある日のことでした。

 

お腹が空いたなと感じ、

弁当を持ってこなかったことに気づいて

あれま、と思った時、

 

突然、ふわっと光景が迫ってきました。

 

私がまだ小学生の頃のことでした。

 

父と共に朝から出かけていた私たちに

母が弁当を持ってきて、

土手の先から手を振って呼び掛けてきました。

 

その光景が脳裏を過ると同時に、

あぁ、と気づいたのです。

 

今がどうであれ、

私は父母と暮らしていく中で、

今に至る胸の痛みも喜びも作り上げてきたのだ、と。

 

褒められることもたまにはあったけど、

時にはぽこぽこに叱られ、

自分たちの腹いせに八つ当たりされ、

 

それでも一緒の時間と一緒の空間を共にし、

その中で自分という存在を少しずつ

作り上げてきたのだ、と。

 

必然的に(!)、

 

私は、この人たちが哀しまないように

自分に鞭を当て続けて、

動かない心と身体を強制的に動かし、

 

自分自身をしっかりと抱きしめながら

流れに身を任せることを

ずっと自分に許さなかったのだ、と。

 

母親が哀しむ、というより不安になるのは、

彼女が人生で築いてきた世界観の中で、

 

子供が既定のレールを外れること

であるとともに、

 

自分の出自では、

どうあがいても望めなかったところに、

 

自分の無二の分身の手が届くことで、

みずからの代理的な欲求もまた満たされる、

 

当人にさえ気づけない、

そんな隠れた意図があったのかもしれません。

 

それはきっと当時(今も)の世の中の

普通と言われる親の多くが秘かに抱える

想いでもあったのかもしれません。

 

ただ、

ある頃からずれ始めた互いの価値観を

父母は生活の中に吸収できなくなり、

 

その歪みを正面から受け止められないまま、

子供の未来に浄化しようとして、

少しずつ崩れていった。

 

父母もまた、時に至らないと感じる自らを

心の中で叱咤し罵り、

身体に強制的な痛みの刺激を与え、

 

そうやって何とか生きてきた、

少なくとも彼らの意識ではそう捉えていて、

 

その正しさと約束されたはずの未来を

私にも求めたのかもしれません。

 

それも含めて、私は彼らの一子として、

生まれ育ちここまで生きてきた…。

 

ただそれだけのことをあらためて、

そしてそれまであった

怒りややりきれなさではない、

 

哀しさと懐かしさとともに感じていました。

 

頑張る必要がないわけじゃない、

気合を入れたり、気概を持ったり、

好きでないこともまたこなしたり、

 

そういったことはきっと生きる上で

必要なときがあるのでしょう。

 

でも、

 

この川のほとりの私たちがいた光景を

否定したり遠ざけてしまうほどに

歪になってしまうのは、とても哀しい、

 

それが動かなくなる身体を抱きしめ、

流れに身を任せる基準なのかな、と

感じています。

 

 

私にとって梅雨の季節は、

1年で一番身体が反応しづらい時期です。

 

普段なら、何となくこなしてしまうことも、

この時期には億劫になります。

 

でも、それとは関係なく、

私の中には私を勇気づけ、大切にしたい過去と

これからを生きるささやかな未来があります。

 

それは私一人で培ったものではなく、

有形無形の人とのつながりの中で得た、

愛しい時間です。

 

それを見失わないように、

流れの中で生きていきたい、

そう願っています。

 

ー今回の表紙画像ー

『夕暮れの帰り道』

また行ってしまった。格好いいなあ。御年90歳なのになあ。