ここ数年?の内に知り合った仲間たちと
飲んでいる時に、
ふと感じたことがあります。
当たり前のようにおしゃべりして、
当たり前のようにお酒を酌み交わして、
当たり前のように生い立ちを共有して、
いるけれど、
考えてみれば私という人間にとっては、
昔ではありえなかった形で
繋がった関係です。
普通というか世間的には、
歳を重ねると新しい繫がりの獲得が
なかなか起こらなくなる、
と言われます。
私などどちらかと言わずとも人見知りで、
付き合い下手な人間なので、
こうやって当たり前と感じられる関係が
身近にあるというのは
とてもありがたいです。
そしてこの繋がりも、
不思議な連鎖の結果だったなと
思い出します。
★
変化は気づいたら、起こっている。
それは長く変わり続けてきた私と、
相談者さんの変化を見続けてきた
結論です。
少なくとも、
自分自身を変えようとする試みの
結果としての変化は、
予測できるものでもないし、
予測するような経験も感覚も行動も
ないからこそ行き詰っているのだから
予測するというのはそもそも
おかしなことなんです。
ともかくも、
変化は気づいたら起こっている。
ただ振り返ると、
どんなプロセスをたどったかというのは
確かにあるようです。
これまでにも折に触れて、
自分を受け入れることが、
自分を良い方向へ導くことであることは
これまでにもお伝えしてきました。
で、
自分を受け入れ続けていると、
日々の生活の様々な事象自体を
自分に引き寄せるようになります。
お金がないなりに、
時間がないなりに、
人のつながりが乏しいなりに、
歳を取ったなりに、
その範囲で自分が
できること、望むことを見出し、
日々の食事や、
ちょっとした休息や、
図書館での読書や、
友人とのおしゃべりや、
お絵描きや、
料理や、
他にもいろいろあると思うけれど、
そういった簡単にできることで
自分が“ほんの少し”楽しめることに
焦点を当てて実行し、
自分が自分で居られる時間を
自分なりに楽しむことが
できるようになるんですよね。
それから変化にはもう一つあります。
変化の構造は階層的であるということです。
日常のささやかな変化について
上述しました。
で、
日々の生活を
自分に引き寄せることで生じる
日常の変化は、
そのまま日常の“解釈”の変化をも
もたらします。
自分に引き寄せることで、
徐々に考え方、感じ方自体が
変わっていくからです。
日常の解釈の変化、受け止め方の変化が
自分の行動を変えるようになります。
もちろん、連動しているので、
より日常を自分に引き寄せるように
変わっていくのです。
解釈が変化し、
受け止め方が変化し、
行動が変化すると、
今度は起こる出来事自体が
変化するようになります。
起こる出来事が変化すると、
新しい経験を積むことにもなります。
それは、時にはつまらなかったり、
楽しくなかったりするけれど、
自分に訪れたいくつもの経験を
受け入れていくうちに、
自分の世界が広がり、
さらにいくつかの世界に
足を踏み入れるようになるでしょう。
するとそれがそのまま
新しい人の関係性をも築く、
というかもたらすことになります。
悶々としていた頃の私は、
変化というものをとても重々しく
考えていました。
××を変化させて、
自分を変えることによって、
今のこの苦しみから抜け出すぞ、と。
一番変わらないパターンですね。
というか同じ世界に留まったまま、
何か社会的な評価や結果を
気合と根性で変える、みたいな。
完全に本末転倒です。
先に例として、
自分のできる範囲で簡単にできることを
いくつか挙げてみました。
ささやかな自分の望みです。
絶対的にやりたいことでがあれば
それはそれでよいのですが、
そういうのはそうそうあるものでも
ないのではないでしょうか。
だから、
ちょっと興味があることを
いくつか挙げてみて、
それらを実行するんです。
うまくいかなくて悔しかったことなんかも
選択肢の一つだと思います。
その際、流れに身を委ねること、
私の言葉では『偶然を尊ぶ』ことです。
まさに、
変化のプロセスをそれと意識せずに楽しむ、
ということでしょうか。
★
くどいようですが、
変化は気づいたら起こっているものです。
ただ試みは意識する必要があります。
試みはあなた自身によるところだからです。
試みることは、
いくつになっても、どんな時でも、
可能なことです。
あなたが、
30歳の主婦でも、
40歳のサラリーパーソンでも、
50歳のアルバイトでも、
60歳の体の動きが鈍ったオヤジでも、
70歳の家族のいない独り身でも、
できることです。
その行動を継続する過程で、
どれほど自分を大切にすることか、
感じられるようにもなります。
もちろん、
落ち込んで身動きするのさえ辛いなら、
そんなときはしばらく
ひっそりと暮らせばいいでしょう。
でもそんな時でさえ、
落ち込み悲しむ自分を受け入れて、
怒り憤る自分に寄り添って、
感情に任せて暴走するのではなく、
ちょっとガスを抜いて、
できる範囲で同じことを行っていくと…
ありゃ不思議、
やっぱり変化していたりするんですね。
一番身近な自分という大切な他者を
受け入れることは、
大切にした人、つまり自分自身の人生を
生きようとする試みと意気込みと決意に
他なりません。
★
父母が入る駅近のお墓を探していると、
意外にも30代の同じような方々が
結構いたりします。
情報を仕入れたりする過程で
何となく顔見知りになり、
互いの来し方を話しているうちに、
一緒にご飯を食べたり飲んだり
するようになったんですね。
飲み仲間では、私が最年長かな。
少々の不安を共有し、
大切な人を亡くした感覚を共有し、
皆が互いに距離を保ちながら繋がって
時に親密に話をします。
お墓を放ったらかしにして、
振り返りもしないままだったら、
あり得なかった関係性ですね。
また1か月後にご飯に行ってきます。
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ー今回の表紙画像ー
『ヨーグレット』
今度はこれがプチマイブームに。。。
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