欲求は1つの人格

日々の棚卸

 

私は本が好きです。

 

それも、時に、

ちょっと依存気味かもしれないくらい。

 

お出かけの際は、

隙間時間に読めるよう、

カバンには必ず何冊か入っています。

 

興味のある講演やセミナーなども

本がきっかけになることが多くて、

 

読んだ内容に興味を惹かれると、

その著者をネットで検索して、

いそいそと出かけます。

 

著者の年齢は問いません。

性別も問いません。

専門分野も問いません。

 

フィクション・ノンフィクションも

関係ありません。

惹かれるものは惹かれてしまいます。

 

長く読み続ける著者もあれば、

一時のブームで終わる本もあります。

 

興味を持ち続けている本が

置いてあるコーナーに、

足しげく通うこともあります。

 

そういうわけで、当然というべきか、

心・心理、精神医療の分野は

その最たるものの一つです。

 

隣にスピ系のコーナーがあったりすると

そちらに足をのばして、

見入ったりもします。

 

他にも、

国家関係や地政学、比較人類学などは

昔から興味があって、

 

特に、

ホットな話題が取り上げられていると、

そのコーナーに長居してしまいます。

 

趣味の関係上、お魚系、

つまり、釣りや魚の飼育などにも

足しげく通います。

 

いつも知りたいことだらけだから。

 

おかげさまでというべきか、

本屋、図書館、某Webなど、

一度そこに足が向くと(Webは見始めると)、

あっという間に時間が経ってしまいます。

 

もう内側から湧き上がってくる

欲求の最たる一つなのだから、

仕方がない。

 

時間(とお金)の許す限り、

そこに居ます。

 

こういうのはもちろん私だけではなくて、

 

例えば、私の友人の一人は、

家電量販店でAV機器や調理器具や

そういったものを見ていると、

時を忘れてしまうそうです。

 

また、セミプロの写真家の知り合いは、

真冬の月夜の海辺で、

何時間も暗い海を撮り続けたり、

 

某国の観光客でごった返した鎌倉海岸で

彼らに交じって

電車や海岸の風景を撮影することに

全く苦はないと言っています。

 

きっとあなたにも、

そんな場所や分野があるのでは

ないでしょうか。

 

一方、

 

常に気になっている分野ばかりではなく、

反対に、その時気になっていた

問題の解決を探すこともあります。

 

将来のこと、

自分の欲求のこと、

友人のこと、

お金のこと、

購入する自動車のこと、

今度出かける絵画展のこと。

 

純粋な楽しみについてのこともありますが、

瞬間的にホットなことの場合、

悩み事への解決を求めることの方が

圧倒的に多かったような気がします。

 

そうやって、新しい知識を学んだり、

体感を伴う解釈を必要とする場合、

 

自分のペースで対応方法の解釈を咀嚼でき、

他者への気遣いも必要ないという意味で、

 

私にとって本というのは、

とてもありがたい存在です。

 

 

時々、感情について

お話しさせていただいています。

 

湧き上がってくる感情そのものに

責任はないし、

 

誰か(特に自分)を責める感情と

闘っている限り、

その感情自体がいつまでも

自らの内側で暴れまわりますよ、と。

 

私自身、自分の中に存在する感情と

闘っていた頃、

とても生きづらかったのを

昨日のように覚えています。

 

感情は、極論しなくても、

自分の中に存在する

もう一人の自分なのだから、

 

闘っている限り、

つまり、受け入れてやらない限り、

生きづらくもなるのは当たり前なんですね。

 

湧き上がってくる感情を

一個の存在として認めて、

その感情について自分の中で

相談するようになってから、

 

湧き上がってくる感情は、

私にとって大切な

相棒のような存在に変わりました。

 

繰り返しになりますが、

 

感情自体は一個の人格の象徴として

あらわれているものなのですから、

良いも悪いもないし、

 

認めてあげない限りいつまでも、

自分を認めてくれ、ここにいるぞ、

お前の一部なんだぞ、と

 

自らの内側で暴れまくり、

 

その間は、

どれだけ世の中と向き合おうとしても、

そうさせてはくれません。

 

そして、

 

自らの中にある『欲求』も同じだ、

そう気づいたときは、

ちょっと感動しました。

 

食欲はともかく、

性欲や睡眠欲、承認欲や孤独欲(これは

私の造語、静欲と言い換えてもいい)は、

 

それを欲してしまう自分(の欲求)と

闘っている限り、

 

つまり、

湧き上がってくる欲求を認めない限り、

感情と同じように、

いつまでも自分の内側で暴れまくります。

 

人は記憶の生き物だ、という言葉を、

どこかで聞いたことがありますが、

 

私たちは身体の感覚を含めて、

記憶によって『次』を決めるのだから、

確かにそう言えるのかもしれません。

 

欲求はそういった

経験値も含めた自分全体の生き方と

自分の心身の特性によって

内側から湧き出る自分特有の欲動です。

 

感情同様に、

人の迷惑になったり、

あたりかまわず自分の欲求を

吐き出すのは厳に慎むべきですが、

 

一個の人格ならぬ一個の存在として

認めてあげた上で

ではどうしようかと相談するのは、

 

私たちが私たちとして生きる上で、

最優先で取り組むべき

ことではないでしょうか。

 

私たちの内側にあるものは、

表出の仕方はともかく、

無碍に扱っていいものは何もない、

ということなのだと思います。

 

 

そういう素の自分がいて、

そこから、じゃあ、どうしようか、

となる。

 

これがかけがえのない自分を

自分らしく生きていくための

基本のスタンスなのではないでしょうか。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『街の遠景』

大好きな街の影絵を撮りに行ったのですが早すぎたので、

散歩がてら暮らす町の遠景を撮ってみました。