会社でクビを宣告された日のこと

日々の棚卸

 

嫌だな。

行きたくないな。

やりたくないな。

ずっとそう感じながら、

その感情は自分の至らなさが原因だ

ということにして、働いていた会社。

不良社員だった私にとって、

会社とはそういうところでした。

 

そんな会社から、昔、

リストラを通告されたことがありました。

 

部門長(部長)から個別にメールが入り、

普段使用しない部屋に呼び出されたのです。

ちょうど昇進試験が終わったところで

ひと段落したと思っていたので、

最初は今年の試験の状況でも聞きたいのかな、

などと、何とも能天気なことを考えつつ、

のこのこと部屋に出向きました。

 

ノックをして部屋に入ると、

予想に反して渋い表情の部長が

正面を向いて座っていて、

入ってきた私に視線を向けると

着席するよう促してきました。

それから、

会社の状況と私のこれまでの社歴とを

滔々との述べた後で、

「このままここにいてもらっても、

やってもらうことはないよ」

という言葉。

最初は耳を疑いました。

なんだろう、いきなりのその言葉は。

続いて、

デスクの中から1枚の用紙を取り出し、

私に差し出します。

そこには会社を辞めるにあたって、

退職金を含むお金のことが書かれていました。

退職金とは別に給与2年分の特別金が

支払われるという、

金額としてはちょっとした条件です。

 

「自分は何かやらかしたかな?」

そんなことがあって釈然としないまま

用紙片手に部屋を出ました。

同時に、

こういうことが自分にも起こるのか、と

どこかぼんやりと安物のテレビドラマを

想起していました。

後で聞いた話では、

所属していた部門が大赤字だったようで、

社長と取締役直々の号令により、

部門に所属する社員全員を対象として、

私と同じように面接が行われ、

人員削減の大ナタが振るわれたそうです。

海外の企業では時々ありますね。

私と同じ退職に当たっての条件を記載した

用紙片手に、部署の人たちが

あちこちで話に花?を割かせていました。

実際に会社を辞めたのは、

そのうちの一部の人たちだけですが、

そういう時代なのだなと、

ショックを受けたのも事実です。

 

一方で、その時私の中である反応が

起きました。

どこかでほっとしている自分がいたのです。

 

自分が望む未来を求める契機は

それまでに何度かあったけれど

もし今回辞めることになったら、

何の躊躇もなくそちらに踏み出していけばいい、

そんなかすかなときめきの感じです。

世の中そんなに甘くない、

誰もがどこかで耳タコになっている言葉。

それでもやはり、新しい世界に向けて

心が動く自分がいるという事実。

それほどに、あわない世界で生きていた

と自覚する羽目になったわけです。

 

働き方は人それぞれです。

何を求めるかによって

どんな働き方が良いかは変わってきます。

ただ、一つだけ言えることは、

経営者にでもならない限り、

会社ではお金の流れを実感として

把握することができません。

代わりに、

その見えないお金の流れをよくするために

命令という、半ば恐怖によって

突き動かされる世界に

私たちは自ら身を置いているということ。

その裏返しとして、

目の前の業務に邁進していれば、

給与という形で収入が確保されます。

 

起業することを決めた時、

本当にほっとしました。

働きながらではあったけど、

会社がすでに自分の居場所ではないと

感じるようになっていたこともあって、

自ら新しい場所を作ろうとする活動は、

とても充実していました。

その時のことを思い出すと

今も開放感が思い出されます。

もう怯えなくていい。

失敗も、お金を失うことも、

結果は自分が背負えばいい、

その代わりに、

社内の人間関係の力学に

怯えながら動く必要もない。

 

繰り返しますが、

会社に勤めることが悪いわけでは

もちろんありません。

なぜなら、雇用してくれるから。

給与を与えてくれるから。

企業寿命は人の寿命より短くなりましたが、

それでも当座の生活を保証してくれています。

何より、集団でしか達成できないことがある。

水道や電気のような

社会インフラばかりではありません。

自分の欲しいものがそんなところにあるのなら、

会社勤めできるといいかもしれなません。

 

しかし、そうでないのなら。。。

大切なモノ、欲しいモノ、与えたいものが

他にあるのなら…。

新しい人生を歩き出す時がきているのでは

ないでしょうか。

 

ー今回の表紙画像ー

『ビル街の夕景』