仕返しできるくらいなら、十分自分の足で立って生きていける

日々の棚卸

 

仕返し。

重い言葉でいえば、復讐。

誰に、なぜ、そうしたいのかは人それぞれです。

不毛と感じている人もいますが、

取り込まれてしまっている人もいる。

 

根っこにある感情は様々です。

悔しい、

腹が立つ、

不躾に振舞われた、

無礼を働かれた、

虐められた、

冷たくされた、

残酷な言葉を投げつけられた、

殴られた、

蔑まれた、

……。

感情は様々、と書きました。

でも、一言でいえば、

『自分を傷つけられた』

そう感じたときに、

一部の人が抱く感情、

それが仕返しであり、復讐です。

人によっては、

言葉で表現しえないほど

残酷な、哀しい仕打ちを

経験したのかもしれませんね。

 

仕返ししたくなる気持ち。

この、誰にでもあるかもしれない状況。

自分のことを、

弱者として、

追い詰められたものとして、

疎外された存在として、

そして、

相手は本来そういうことをしてはいけない

と感じるときに抱いてしまう感情。

 

どこで、そんな状態になるのでしょう。

会社?

学校?

電車やバスの中?

隣近所?

…それとも、家庭内?

…場所は関係ない?

 

相手は誰でしょう。

上司?

同僚?

友人?

会社そのもの?

先生?

クラスメート?

すれ違ったおじさんおばさん?

それとも……

父母?

夫(妻)?

兄弟?

…もしかして自分自身?

 

仕返しって何をするのでしょう。

同じことをやり返す?

ひどい言葉を投げつける?

別の誰かに実行させる?

仲間外れにする?

大損させる?

痛い目に合わせる?

暴力?

離縁する?

仕事をあぶれさせる?

悪者にする?

そのために自分自身を傷つける?

 

それをするとどうなるのでしょう。

なぜそうしようとするのでしょう。

何を望んでいるのでしょう。

 

心底スッキリするのでしょうか。

正義感が満たされるのでしょうか。

自分を正当化できるのでしょうか。

求めていた愛やお金や人の関係を

得ることができるのでしょうか。

何かが変わるのでしょうか。

 

……ただ、闇の世界が広がるだけではないでしょうか。

 

何をそこまで憤っているのでしょう。

なぜそうやって誰かを変えようとするのでしょう。

そこまでして自分を支配するような存在とは何者でしょう。

 

その望みは現実的なのでしょうか。

仮に現実的でなかったとしても、絶対なのでしょうか。

 

 

……30年前、学生時代の私はこの問いに、

自分自身が納得のいく答えを

出すことができませんでした。

 

原家族の離散と肉親の自死によって、

不幸感が人生の全体を覆い、

体や心の隅々にまでを、

まるで菌糸が蔓延るように

支配された時期がありました。

不幸感と“感”の字を付けたのは、

文字通り感覚のことだからです。

 

仕返し、復讐は、

求めて得られなかった愛情の要求が

歪んだ形で出た行為です。

 

愛情までは求めていない、

ただ常識の範囲で対応をしてほしかった、

そう言われる方もいるでしょう。

しかし、人に何かを求めるということは、

よほど法律的なことでもない限り、

愛情を求めることです。

 

そうであるならば、

先の問いに“正しく”答えることなど

できるはずもない。

仕返しをすることの無意味さ、不毛さを

理屈と感覚の双方から理解し、

そこに不足すると感じるものは

外側に求めるのではなく、

自らの中に醸成していくことは

大人になった私たち、

社会人としての私たちが

日々の生活の中で実践しながら

実現していくことであり、

そこに気づかないと

その無意味さ、不毛さの檻に閉じ込められて

いつまでたっても

本当は戦う必要のない相手に

自分の感情を向け続けます。

自分だけが、その感情にからめとられて

無意味な、不毛な時間を費やす、

そういうことです。

 

だから、自分が自分に働きかけて

これまでの人生で不足していたと感じているものを

自らの内から湧き出でるようにしよう、

その一端として

どんな時も、どんな自分も受け入れましょう、

と述べてきました。

 

実際には、自分を受け入れるとき、

なかなか肯定感を持てないために

先へ進めない人もいます。

 

ですので、そんな方には

少し別の角度からこう考えてほしい。

つまり、

形はどうあれ、

格好はどうあれ、

すでに自分の足で立って、

今、この時まで

歩いてきているという事実がある

ということです。

曲がりなりにも、

格好悪くても

自分でここまで生きてきたんです。

それをはなから無視して、

歩き方も気に入らなければ、

歩くルートも、

行きついた場所も、

周囲の景色も、

思い通りではない、

それは自分が被害者だからだ、

与えられなかったからだ、

と思い込んで、

自らそれ以上の行動をとろうとしていない。

 

今はそんな状態なのかもしれませんね。

 

遠回りですよ。

もったいないですよ。

生きたい人、他にもたくさんいます。

 

ともかくも、自分を受け入れ続けて、

仕返しなどという不毛な世界から、

とっととおさらばしましょう。

仕返しできるくらいなら、

もう十分自分の力で生きていけるんです。

 

ー今回の表紙画像ー

『お寺の雑木林』

里帰りの時に時々お邪魔する福権寺脇の雑木林より。右手に赤い涎掛け(?)のお地蔵さんが見える。