なぜここで、
こんなことをして働いているんだろう、
そう思ったことはないでしょうか。
私はあります。
なぜここで、
この人たちと働かなければいけないのだろう、
そう思ったことはないでしょうか。
私はあります。
なぜここで、
これだけの時間を束縛されなければならないのだろう、
そう思ったことはないでしょうか。
私はあります。
その時の私はと言えば、
何か優れた成果があったわけでもなければ、
リーダーシップがあったわけでもなく、
職場に和をもたらすわけでもありませんでした。
雇う側からしてみれば、
とても不遜な感想だと受け止められても
反論の余地はありません。
ただ、誰がどう言おうと、
事実は事実としてそうでした。
食べていくために集団に所属していて、
そこがどうにも居場所として感じられなくて、
かといって他の誰か、何かを責めるのも筋違い。
命を賭して、とまでいかなくても
これが生きる道だ、と言えるような何かが
あるわけでもない。
理由はどうあれ、
ひとえに自分が選択した場所に対して、
迷いを持ったまま居続けることは、
精神衛生上よくありません。
…という状態に、陥っていませんか?
★
自分が抑圧されていると感じていて、
自分を見失っているのは、
自分が求めるものを実現する手段として、
組織を利用できていない状態ですね。
生活の安定を求める手段として
開き直っているつもりでも、
どこかで評価にびくついている状態ですね。
自分を大切に守ろうと思いながら、
日々の業務に自分を蹴飛ばし続けるばかりで、
肝心の自分自身を顧みていない状態ですね。
人は成果も感じられず一方的に叱られ続ければ、
無力感、無能感とともに打ちひしがれ、
動くことができなくなり、
思考も情動も停止してしまいます。
そこにはもちろん、周囲ばかりでなく、
自分を虐げている自分自身もまた存在します。
必然、些細なミスを連発し、
時に何より大切な力となる勘も働かず、
人の話も理解できなければ、
決まりごとの文章さえ頭に入ってこない。
どれもそうなる前には
当たり前にできていたことなので、
余計に焦りが募りますよね。
しかも、今度こそは気を付けようとして
同じどころか、
さらにひどい間違いをおかしてしまう。
ここまでくると、
会社鬱と言われるものの一つの形です。
★
自分を休めることと共に、
一つ考えたいのは、
その場所を出る、ということです。
場所を出る、と言っても、
転職、とか、起業、とばかり
言っているわけではありません。
特に、苦しんでいる真の理由が
見定まらないまま、
例えば闇雲に転職を繰り返しても、
同じ状態が再発するだけです。
そうではなくて、
その場所で自分が位置付けられていたことを
変えるのです。
その場所が悪い、のではありません。
その場所が、絶対的に合わない、とも限りません。
ただ、見失っている自分の生を感じなおすために、
仕事を見つめなおす必要があるということです。
この状態から抜け出るために、
多くの示唆と指針が飛び交っていますよね。
新しい世界を得るために
片方で今の仕事を継続して、
やりたいことにもっと時間を割いて、
マネタイズを学習して、というのもあります。
これはやりたいことをやっている、と言いながら、
ある種のハードルを思い切りあげてもいます。
なぜなら、今の場所で必死に適合しようとしても
できてないにもかかわらず、
さらに別のことに時間を割いて、今を要領よく、
というのは、
実はある状態が整わなくては、
出来ない相談になるケースがあるからです。
食べていかなければならない。
場合によっては家族の面倒も見る必要がある、
そういう事情の方もあるでしょう。
あるいは、
ご自身の内面が行き詰って、
何をどうしたらよいかわからないけれど、
怖くて動けない、
と言う方もおられるかもしれません。
そんな時だからこそ、
今一度、自分にとっての『自然体』とは何かを
見つめなおす必要があると思うのです。
『自然体』なんてない、
仕事に合わせてなんぼの社会だ、
でも自分はそんなことできないから失格者だ、
などというのは、
それこそ間違った認識・受け止め方です。
『自然体』の自分があって、
その場所でそれなりに生き生きと動くことができて、
そこに初めて新しい展望が見えてきます。
『自然体』というのは、
いつでもどこでもリラックスして、
と言うことには限りません。
(そうであればもちろん良いのですが)
あなたの体の状態や感情の在り方と
折り合いをつけられる状態、
と言う意味です。
『この状態から抜け出るために、
多くの示唆と指針が飛び交っている』
と先に記載しました。
楽しいことを見つけよう。
やりたいことを見つけよう。
子供のように一つのことにのめり込もう。
それはその通りなのですが、
それができる人はこんなところに来なくても
既にできているものです。
でも現実に仕事の関係で
日々肩を落としている人が、
同じ場所に、あるいは休日だけ、
充実した生き甲斐を持っている、
というのは考えづらい。
少なくとも私には無理でした。
そのくらい、仕事に追い詰められていました。
実働時間以外に、先の展望が見えない職場に
不安以上の暗闇を抱えていました。
だからまず、自分を苦しめる状態に
ピリオドを打つこと、
少なくともその故に追い詰められる状態から
脱していることが必要で、
そのために多少給与が下がったり、
待遇が落ちたりしてもよい、
私はそう考えています。
繰り返しになりますが、
あなたの体の状態や感情の在り方と
折り合いをつけることを
『自然体』と言っています。
いろんな方法があります。
場所の中には、
心の位置づけや人の関係の位置づけ、
と言ったものもあるでしょう。
そういった内面外面の様々な場所を考慮し、
自分が心底では何に追い詰められているのか、
感じ取ってみましょう。
必然的に、次の行動が決まってくるのでは
ないでしょうか。
ー今回の表紙画像ー
『家の近所のお月様』
月明りってマンションの灯りより明るいんだ、とちょっと感動。
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