人の関係の外側にある自然に足を延ばしてみよう

日々の棚卸

あけましておめでとうございます。

本年もささやかなら

皆様の働き方や生き方、

自らを受け入れるきっかけを

ご提供していければと思います。

 

簡単に解決できない日常の悩みや苦しみが、

現状の問題の複雑さの故なのか、

無意識が過去に捉われているためなのか

によって、

解決のアプローチは異なります。

前者なら、

目の前の問題に集中し、

必要なら周囲を巻き込み、

情報を収集し、

自分が何をすべきかをしっかりと意識して

対処する。

極論すれば、

問題が解決することで一件落着、

少なくともそれ以上その問題に

かかわることはなくなります。

しかし、後者の場合、

目の前のことに集中する、

というわけにはいかないことが

多いものです。

おそらく、

最初は目の前のことに集中して

解決を試みようとしますが、

うまくいかなかったり、

集中できなかったり、

あるいは、

何とか解決したと思ったら

似たようなパターンで問題が現れたりして、

繰り返し対処するうち、

何かが変だ、

と感じるようになるわけです。

実際、過去に焦点を当てる方は多く、

当ブログでもその影響やメカニズムについて

いくつかの角度から説いてきたつもりです。

 

この方法は、

自分が当事者として苦しんでいた時も

そうですし、

相談で感じることでもあるのですが、

ある程度の進捗が見られるまで、

苦しさにあえぐ自分の処し方に

悩みます。

ほんっとうに、苦しいんです。

苦しいまま、何とかしようと

過去との対峙を続けることは

必要なのですが、

その間1日24時間ずっと

その感情の中に自分を没していると、

心も体ももたない、

そういった状況に陥っていた当時の

それが正直な私の感覚でした。

過去の自分と対峙し、

それまで気づかなかった

いろんなことが見えてくることは

喜ばしいことだし、

良くなってくる感じに

うれしくもなるのですが、

一方で、

ある程度のところまで行きつくまで

挫けることなくあり続けようとすると、

どこかに息抜きの場所が必要になります。

 

標題のとおり、ここでは

自然に足を延ばすことをおすすめします。

ただ、自然と言っても、

一般に言われていることとは

少々ニュアンスが異なります。

追って解説していきますね。

 

実際のところ、

息抜き自体は何でもいいんです。

手芸でも、

買い物でも、

料理でも、

ドライブでも、

お酒でも、

おしゃべりでも、

アディクションに陥ることなく、

ほんとに息抜きというか

気分転換ができるのであれば、

その方法は問いません。

 

ただ、ここであえて

自然を取り上げるには理由があります。

他のあらゆることと異なり、

自然は人工的、

人為的な関係性の外にあるものです。

そこには、

私たちの思い悩む人為的な関係性の

外側にある営みによって、

私たちとは異なる生命が関係しあって

生きています。

もっとも私たちもまた

本来はその一部なのですが、

それを感じ取るには日常は

あまりにかけ離れてしまっています。

自然に触れていると、

そのことを身にしみて感じます。

多様で、大小様々で、

しかもどこかでは

私たちと接点をも持っている。

 

その感覚を、

かすかでいいし、

ささやかでいいので、

感じでみてください。

上述のとおり、

別に一般的に言われるような

大げさなふれあいである必要は

ないと思うのです。

原生林の中に入っていかずとも、

エメラルドグリーンの海まで出かけずとも、

ダイビングでマンタに出会わなくても、

私たちの国、日本には豊かな自然が

街中に、街はずれに、遠景に、

いくらでもあります。

ちょっと足を延ばして

街はずれの川に向かい、

水辺に腰をかがめて覗いてみると、

流線型の小魚や小エビが

彼らなりの生活を営んでいるのを

見かけることができます。

土手には季節ごとに色とりどりの花が咲き、

蝶が舞い、トンボが飛んでいます。

最近は温暖化のせいなのか、

私が単にそういうところに

注目しているからなのか、

真冬でさえ、

川面に小さな魚たちがライズし、

川べりには

小さな蛾や羽虫が飛んでいたりします。

川に気が向かないなら、

ちょっと電車賃を払って

海まで足を延ばしてもいい。

東京に暮らす人なら、

奥多摩や轟渓谷にでも行けば

ちょっとした

山や谷をみることができます。

町の公園の木々、

近所の役場の花壇、

遊歩道沿いの花々、

夕暮れの街路樹に聞こえる雀の声

いくつもの建物の向こうに見える山並み、

澄んだ夜空に浮かぶ月や星、

街中に暮らしていても、

いくらでも自然を感じることはできる。

風を感じる、

雲を見る、

青い空を見上げる、

山並みを追う、

川の流れを見つめる、

青い海をたゆたう、

私たちが生まれる前から

それらはそこにあって、

私たちがこの世から去った後も

そこにあり続けるものです。

そういった存在に触れるには、

その気になりさえすれば、

ものの5分もかからないはずです。

そしてもし、

そこに心がかすかに揺さぶられるような

感動が生まれてしまうと、

自分に嘘をついて生きることが苦しくなる。

あからさまな嘘はもちろん、

自分が苦痛を感じる

生き方、働き方を続けるということです。

 

そんな変化を感じさせてくれるものが

実は身の回りにいくらでもあって、

普段は気づきもしない自然の

隠れた効用だったりします。

 

自分を変えるヒントを探す人は多いけれど、

案外そんなところにあって、

あなたを待っていたり

するのではないでしょうか。

 

末尾になりましたが、

本年もよろしくお願いいたします。

 

ー今回の表紙画像ー

『初詣』

除夜の鐘をききながら、一番乗り…にはならなかった。