大時間持ちはいない

日々の棚卸

 

「もう歳なんだし…」

「もう歳なんだから…」

 

いつの世も耳にするこの言葉。

 

何か目的があって、

それに対して制限を感じる時、

その理由の一つとしてつぶやく言葉。

 

年齢的に“それ”に取り組むには

遅すぎる、ということ。

 

否定的に捉えがちな言葉ではありますが、

 

『人生は短い』

 

そう捉え直すと、

受け止め方が変わってくるかもしれません。

 

 

「もう歳なんだし…」

 

私はかつて、

この言葉は自分の人生に縁がないと

思い込んでいました。

 

歳を取ったらそうなるかも、

などとは微塵も考えていなかった…。

 

若かったというのももちろん

あったのですが、

 

自分の生活はずっと充実していると

無意識のうちにそう思い込んでいたのも

あったのかもしれません。

 

今あらたまって振り返れば、

決して充実していたわけでは

なかったのですが、

 

その時に自分が居た場所、

その時に自分が取り組んでいたこと、

その時に自分が付き合っていた人々、

 

そのいずれもが当然と思い込んで

いたからだと思います。

 

だから実際のところ、

その環境自体が本当は、

良かったにせよ、悪かったにせよ、

 

自分には常に『可能性がある』、

そう思い込んでいたからでしょう。

 

『可能性がある』と言ったところで、

具体的な何かをイメージしたわけでは

全くなくて、

 

ただ、何かが起こったところで、

自分の人生はおかしなことに

なることはない、

 

などという、それこそ根拠のない

お思い込みに支配されていました。

 

だから、仮にその頃に、

 

「もうすぐ30歳なのに

転職の条件がそろうはずがない」

 

とか、

 

「離婚しても生活していけるはずがない」

 

といった相談を受けていたら、

 

きっと

 

「そんなことありませんよ、

大丈夫ですよ」

 

と、これもまた、当然のように

お答えしていたような気がします。

 

あの頃からずいぶん時間が経ち、

同じ相談を受けるとき、

 

変わらないものは何もないこと、

人生には何が起こるかわからないこと、

自分だけではどうしようもないことで

追い込まれることもあるということ、

 

などを、

肌身に感じ続けてきたこともあって、

 

当然とは思わなくなりましたが、

それでも、大丈夫ですよ、という

気持ちに変わりはありません。

(そう口に出して伝えるかは別ですが)

 

60歳になって100m走で

オリンピック記録を塗り替えるというなら

あまりに非現実的ですが、

 

誰もがしているようなこと、

 

例えば、

結婚、離婚、転職、退職、新しいことを始める

などなど、

 

年齢を理由にして、

何かを怖れて実行しないということを、

何度も繰り返しているとしたら、

 

なんだかとてももったいないことを

しているように感じます。

 

私たちが生きる世界は、

何を基準にするかによって

その受け止め方、感じ方が変わります。

 

つまりは、

“今の自分”とは、そういった基準に沿って

生きてきて、

その結果出来上がったわけで、

 

いわゆるその集大成の連続こそが

私たち一人ひとりの人生を編んでいる

と言うことができます。

 

 

この、

 

非現実的なことでもない限り、

「もう歳なんだし…」

などと理由をつけて

 

何もしない、と繰り返すのではなく、

怖れてもいいからやってみる、

を選択すればいい、

 

という考え方について、

 

年齢を重ねるにつれて、

別の考え方が加わりました。

 

それが冒頭の一文になります。

 

つまり、

『人生は短い』

ということ。

 

私たちは生まれた瞬間から

少しずつ死に近づいていて、

 

最後には誰にも例外なく、

必ず死が訪れます。

 

今の世の中、人生100年時代だ!

などと言われていますが、

 

昔に比べれば寿命が長くなったものの、

“その年齢”まで生きられるかどうかなど、

決して“保証”されたことではありません。

 

早く死んでしまうかもしれないし、

死なないまでも

健康で生きられる時間には限りがある、

 

あるいは、

自分が自分の意思で

動くことができる時間には限りがある

 

ということになります。

 

限りある時間とは、言い換えれば、

やりたいことをやれる時間であり、

 

生きていることを、

自分が望む何かに対して

活かすことができる時間です。

 

私がそれを痛感したのは、

依存症から痴呆になった母の死の時ですが、

 

いつかいなくなってしまうこの世界に

存在して動くことができる時間に

限りがあるのなら、

 

大金持ちならぬ

大時間持ちの人など

いるはずもありません。

 

「歳なんだよね」と怖れるのは、

湧き上がってくる感情のことなのだから

それを嘆いても仕方ありませんし

自らの一部として受けれればいい。

 

否定否認する必要もないし、

しっかりと怖れてしまう自分自身に

寄り添うこと。

 

ただそれは、

だからやろうとしていた行動を

やめてしまう理由にはなりえません。

 

怖くてもいいし、

尻込みしてしまう自分がいてもいい。

 

でも年齢を理由に実施しない間に、

生きていられる時間、健康でいられる時間は

消えていきます。

 

何より人生を、

 

実施して恥をかいたり叱責を受けたり

うまくいかなかった結果に落ち込んだり

といった、怖れの正当化と

 

たたかってしまっていることになります。

 

この繰り返しが

やらない理由を見つけて、

やらない人生を歩みながら、

今現在に不平を重ねて、

 

自分の心を蝕んでいく時間を

続けることにつながっていないでしょうか。

 

もう歳だからというなら、

それもいいでしょう。

 

でも、どうせなら、

人生は短いと感じて、

やってみることをお勧めします。

 

先にも書きましたが、

年齢はやらないことの理由には

ならないし、

 

理由にする必要など欠片もありません。

 

それでももし、

どうしても“やらない”なら、

 

もしかすると、

それは本当に追い求めていることでは

ないのかもしれないけれど。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『街の青空』

買い物帰りにふと見上げると、東京の冬らしい真っ青な空が広がっていた。気持ちいい。