社会人として自分なりに糧を得て
生きられるようになっても
親が陥っている問題のゆえに、
胸を痛め、苦しみ、
仕事が手につかなかったり、
働き方がおかしくなっていたり、
何がしたいのかわからなくなっていたり、
そうやって自分自身を見失ったまま
自分自身のケアが後回しになっている人は
意外に少なくありません。
本当は、自分自身を振り返って
もっと自分に合った働き方や
もっと自分の好きな仕事を探したり
もっと楽しい生き方をもさくしたり
することの方が先決だと思うのですが、
とてもそんな余力は残っていません。
かくいう私は、その権化のような
生き方をしていました。
両親の不和はよくある話で、
不倫、
ギャンブル癖、
借金、
アルコール、
暴力、
仲違い
セックス、
罵声、
薬物などから、
あげればきりがありませんが、
そう言ったところまでいかなくても、
日常の些末な出来事の中で起こる
病的ともいえる振る舞いの悪影響は
自分と相手(身近で大切な人々)を
痛めつけること、
傷つけること
ゆっくりと蝕んでいくことです。
身近で大切な、愛着の対象である
大好きなはずの肉親が、
自分を含めた人々を
ある一線を越えてまで
傷つける姿を見ることは、
つらく哀しいことで、
叶うことなら何とかしてあげたい、
そう切に願うものです。
私の場合も御多分に漏れず
そんな両親の関係に
人生を乗っ取られたように感じ、
心も体も痛むほどに
悩み続けていた時があって、
どこかで妄想・白昼夢の世界を
思い描くようになったときでもありました。
妄想、白昼夢^^);。
誰だって少しくらいは見るものかと思うのですが、
(違ってる方いたら、ごめんなさい)
日常的に追い込まれる日々が続くと、
そこに逃げ込む時間も、
思い込みも、
また切実になるもので、
これ以上、家族の問題と向き合うことに
耐えられなくなっていた私は、
日本から出ていくことを
ずっと夢見ていました。
実行に移したのは20代前半の頃。
昔から、
暑い場所が苦手だったこともあって、
向かう先は北の方、
当時もっとも耳にしたことがなかった北欧、
特にフィンランドでした。
当時、とても頻繁に
夢の中に出てくる風景があって、
それが日中も妄想、白昼夢のように
頭の中に浮かび続けていたのですが
それがきっかけでした。
当時はその国が、
どんな場所かも、
どんな文化かも、
どんな歴史を有しているかも
その時は全く知らず、
ただ妄想するイメージの中に、
陸の端に立って見つめる北極海の海が
きらめいているシーンだけが
ずっと浮かび続けていました。
もう一度言います。
最初の出どころは、
夢見ですから…。
言い訳はさておいて、
これは社会人になって程ない頃のことで、
悩みながら動くことができず、
当時は、
心理カウンセリングとか
メンタルクリニックのこともよく知らず、
実際、今のように、
利用することが一般的になっていなくて、
社会の様々なことに
不信の念で覆われていた若造が、
壊れかけ、
死にかけていた自分の魂を
何とか生き残らせようとした
最後の“あがき”だったと
今なら理解できます。
人から陰であざ笑われていたかもしれないし、
社会的な評価は低かったかもしれないし、
親を助ける手を打つこともできないことを
蔑まれていたかもしれない、
と思っていた時期もありました。
これらの「かもしれない」は
ほんとは自分の中で
自分が起こしていたことだけれど、
それらを含めて、
そこまで追い詰められていた自分を
何とかしてあげたいという思いが
そんな妄想のような夢を
見させたのかもしれないですね。
夢の中に出てきたのは、
北のきらめく海でした。
すぐ後で、ちょっとばかり恥ずかしい
当時の夢の状況を詳述しますが
そこに行ってみよう、
そう思わせてくれたきっかけでした。
当時のフィンランドのことは
また別の機会にさせていただこうと思うけれど、
少なくとも今のように
有名になって
華やかになって
多くの日本人が訪れる前の、
日本以上に
地味で
静かで
宗教色が社会に溶け込んだところでした。
その当時に知り合った
人々やモノの見方が、
今も私の中に色濃く根付いていて、
支えてくれているのだと感じたのは、
遠ざけていた、忌み嫌っていた自分と
和解してからのことです。
夢のシーンである北極海の光の海。
ウイスキーの酔いにまかせて
20代の凝り固まった世界観に
行き詰っていた頃でした。
ある夜更け、
現実であるはずのない光景の中に
私は立っていました。
行き場のない身を絶望に浸しながら、
半島の付け根に立ちすくみ、
そこから望む海面の
波のきらめきを見つめていました。
そこは北極海に面した陸で
海の向こうに陸地のイメージはなく、
ただ無限に広がる、
北の果てとは思えない、
やけに暖かそうな水平線の向こうには、
悠久の時間と、
自分の存在が許されるような未来を
仄めかしてくれているように思えました。
今思い返しても、
おかしな夢ですよね。
夢だから、まあ筋が通っていないのも
不思議ではないのかもしれません。
夢は日常の整理のために見ることは
これまで多く検証されているので、
当時の私にとっては
酔いに任せた日々の中で
そんな夢が必要だったといえば
それまででしょう。
ただそれがもとで、
今まで見た子のない場所へ
何かにひかれるように旅立って、
その時に吸収した空気や
自分という存在の確からしさが
今になって自分を支えてくれる
大切な一部になっているのは
先に述べた通りです。
今苦境にある方へ申し上げたいのは、
自分の夢と言わず
妄想や白昼夢をむやみに遠ざけることなく、
それがもし自分を含めた誰かを傷つけたり、
社会を痛めつけたりしないのであれば、
求めてみるとよい、
ということです。
夢は、自分の一部です。
何かの頂点に立つことだったり、
大金持ちになることだったり、
名声を轟かせることだったり、
そんな承認を得ようとする何かではなく、
もっと自分の素の感覚を信じて
いっときでも
そこに足を踏み入れてみると、
世界が変わると思います。
世界が変わるという言葉は
とても抽象的でありふれているけれど、
世界が変わることで、
自分もまた変わります。
でも、その前には
素の自分を信じて
自分の行動を変えたという
自分の変化が最初なんですけどね。
ー今回の表紙画像ー
『ちょっと古いヘルシンキのクリスマスシーン2』
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