オキシトシンは、大切な人と親しく接したり
大好きなペットや自然と触れ合ったりして、
脳の中に分泌される成分です。
これが分泌されているとき、
私たちは自分を含めたつながりの中で
愛着、愛情を感じているわけです。
というわけで(?)
何やらいかがわしい感じがする
題名と受け止められかねませんが、
いつもこの場で申し上げていることを
別の形で表現してみたものです。
生きづらさ、行き詰まりを覚えている時、
私たちはついその状態だけが
自分の生活のすべてと思ってしまったり、
一生続くと勘違いしてしまうことがあり、
そうなるとますますおかしな方向へ
自分の状況を導いてしまうという
負のスパイラルにはいってしまいがちです。
負のスパイラルの中には、
自分自身を傷つけるような
受け止め方をすることもあれば、
自分の大切な人々に向けて、
自分が苦しんでいる現実を押し付けて
八つ当たりしてしまうようなこともある。
いずれにしても避けたいことですよね。
その昔、まだ若い頃の話ですが、
朝から晩まで働き続けていた同僚がいて、
その彼が何気なく言った言葉が
今も耳に残っています。
精神的にも随分追い込まれていたようで、
すちゃらか社員の私が
「そんな状態で家族と接していて大丈夫?」
と尋ねたところ、
返ってきた答えはこうでした。
「子供たちの姿見ると癒される」
子供を持ちましょう、
というメッセージではありませんよ。
念のため。
彼が得ていたものは何なのでしょう。
その頃の私が、
彼のようなオキシトシンをたっぷりと
分泌できるような人間関係を
持っていなかったので、
余計に頭の片隅に残っていた言葉です。
あるいは、私の原家族の中ではついに
耳にすることができなかった表現で、
一般論として“知って”いるだけだった言葉が
本当にそうだったのだと
そのとき感じたことに
ぼんやりながらも衝撃を得たのだと思います。
仕事にせよ何にせよ、
私たちが生きる世の中は、
何かを達成することで得られる
富や地位や名声やそういったものを、
どこかで素晴らしいとする
受け止め方があります。
決して否定する必要はないのですが、
それをして得られるもの、
気持ちのよさがあるとして、
それは幸せのほんの一側面に過ぎないことは
誰もがよくわかっているはず。
少し考えればわかることですが、
自分を取り巻く他者や
社会との関係の中で得られる達成感など
自分が望むほどにはそうそうあるはずもなく、
仮にそういう人がいたとしたら、
周囲もまた疲れてしまいさえする、
というのが私の正直な感覚です。
心臓がバクバクして、
達成したぞ、やったやった、もいいけれど、
その手前にもっと求めたいことが
あると思うのです。
もっと自分に身近で、
もっと自分の根源的な部分で感じられる幸せ、
こういう感じがあるからこれからも生きていたい
と思えるような気持ちのよさを、
私たちはどこかで必要としています。
達成感を感じている時、
達成に向けて走っている時、
私たちの体内では
ドーパミンと言われる物質が
ドバドバと出ている状態です。
これが達成の興奮をもたらす元です。
それに対してオキシトシンは、
つながりを感じる時に分泌されます。
先に書いたとおり、
これは愛着を蘇らせる物質です。
大切な子供とつながっているとき、
伴侶や親、
昔からの友人、
ペットのワンコやニャンコ、
時には落ち着いた森の木々、
雄大な海やどっしりとした構えた山並み
そういった風景の中にいる時に、
分泌されることもあります。
何より、
最も身近な存在である自分自身と
しっかりつながっているかどうかの
バロメーターにもなると思います。
心の健康を促すセロトニンとともに、
私たちが普段から考えておきたいこと、
それがこの
オキシトシンを分泌するような
“生活”“自分の在り方”を
意識しているか、ということです。
最初に書いたように、
ともすれば行き詰まり感を感じやすい
日常に生きている私たちは、
それ故に自分も人も
痛めつけないで済むよう、
孤独に陥らない
つながりの感覚を覚えておく効用を
もっと切に求め、
感じる必要があると思います。
日常の何でもない自分を受け入れる訓練、
それは、
日常の些末な経験の中で、
ともすれば卑下しがちな自分を
繰り返し受け入れることです。
自分が見放さない限り、
自分は見放されませんから。
オキシトシン分泌と書いたけれど、
そのことを無理に意識しなくても、
受け入れ続けた自分とのつながりが、
他者との関係に広がっていく時、
オキシトシンは自然に
愛着の感触として
体に広がるようになります。
今の関係だけでなく
かつて親しかった人々との
関係を思い出す中にも
生じることさえありえます。
これからを生きるために、
過去から現在に至る、
様々な自分とつながりなおし、
つながりなおした自分によって
もう一度周囲の人々や動植物との間に
愛着の感覚を蘇らせるとき、
これまでの自分とは異なる
あるいはそれ以上の
安定して安心した感覚を
感じるようになると思います。
ー今回の表紙画像ー
『ある日の水槽撮影』
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