街の夜のノイズ2 ~ 雨の音と匂い

日々の棚卸

 

少し前、『街の夜のノイズ』と題して、

音に関する原風景につながる感覚を

お話しさせていただきました。↓

https://nakatanihidetaka.com/exhaust_noise/

国道を走り抜けていく車の音を

遠くにききながら、

眠りについた頃の記憶の変遷と、

それが内面にもたらしてくれた、

自分という存在が確かにあったということ、

守られていたという感覚、

それが未来にもたらすささやかな光というか

道標を感じられるようになった

ということなどについて、述べています。

 

今年の梅雨明けはご存じのとおり

本執筆の2日前で、

例年と比べて異常に遅かったのですが、

気のせいか、前半は特に、

強風が吹き荒れて、

真冬の木枯らしのような風が

町中を吹き抜ける音が

日中も夜半も聞こえてくることが

多かったような気がします。

先日、たまたま人と電話で話していた時に、

強風が吹いて、ばぅっと凄い音がしたのですが、

互いに電話口で「おお」と言って、

同じように今年の梅雨は風が強いな、

と言い合っていました。

「そっちでも暴風なんだね」

と聞いたら、

「いや、

電話越しに凄い音が聞こえてきたから」

とのことでした。

 

夜眠るとき、

雨や風の音が耳について

なかなか眠りにつけない方がいます。

雨がすさまじい勢いで落ちてきて、

道路や屋根に当たってはじけるときの音、

暴風が建物の間を吹き抜けたり、

木々や看板などを揺らしたりする音は、

特に突発的であるほど驚きますよね。

ぐっすりと眠っている時でさえ、

明け方に轟く雷鳴のように、

突然の音に驚いて目が覚め、

その後

心拍数が上がったまま寝付けなくなるか、

驚いた後で妙に落ち着いて、

ぐっすりと眠るようになるのか、

それはわかりません。

どちらにしても、意識しなければ

『昨晩は雨の音がひどくて、

よく寝付けなかったな』

となって終わりにすることが

普通だと思います。

 

ですが、

もしその驚きの後、寝付くことができず、

日中もそのことが気になって仕方がないとか、

そういえば普段からそういった音に

いつも苛まれているな、と感じるなら、

そこにつながる過去の出来事について

思いを巡らせてみてはいかがでしょう。

人工的な音、つまり

先に挙げた路上を車が走りすぎていく音や、

住む場所によっては隣家の音

~床をどしどし飛び跳ねる音や大笑いする声~

などよりもむしろ、

自然の営みが奏でる音は、

多くの人にとって

眠らせていた夢や居場所の示唆を

与えてくれることがあります。

 

同じことが、

匂いについてもいえます。

雨が降ってきたことに最初に気づくのは、

外を歩いている場合なら

頭にぽつりと水滴が落ちてきたとき

だったりしますが、

時には、空気中に彷徨う匂いの粒子から

気が付くこともあります。

雨粒がアスファルトに染み入り、

そこで発生する成分が

漂ってくるものなのでしょう、

独特の匂いがして、

時にはそれが開け放った窓を介して

部屋の中にまで紛れ込んできて、

「あっ、雨が降ってきたかな」

と気づくときもあります。

 

そんな匂いがすると、

ほっと落ち着く人もいて、

私などもその口なのですが、

反対に、ざわり、と

胸がざわつく人もおられます。

そんな人の中には、

子供の頃、親から叱られて

雨降りの外に追い出されたことが

何度もあって、

当初はそれが重苦しい記憶となって

心の中に巣くっていた

と思っていたそうです。

ですが、実際には、

そう躾けた両親はいつも争いが絶えず、

ある時、母親が家を出ていくといった

お世辞にも幸福とは

言い難い状況になる過程を

子供ながらに見続け、

そのため、

雨の匂いと

親の仕打ちと

その後の親の不幸と

それが自分にもたらす不安定さが

セットになって

寂しさとか哀しさとして

胸の奥に宿ってしまい、

それが、今を生きる力を削ぐ

要素になっていたというものでした。

 

私自身のことを振り返ってみます。

私の父はヘビースモーカーで、

1日に4箱もハイライト(銘柄。今はあるのかな)

を吸っていたのですが、

彼が自死した後、

しばらくの間、

たばこの匂いが私の心に

良くない影響を与えていました。

喫煙は今ほど規制が厳しくなくて

街のあちこちでスパスパやっている

おじさんやおばさんやお兄さんやお姉さんの

たばこの煙と副流煙が

煙いとかではなくて、

微妙に感情を揺らしてきたのです。

それが変化し、落ち着くようになったのは、

同じ匂いがもつ楽しかったシーンや時間を

公平に思い出し、体感することが

できるようになってからのことでした。

 

私にもあなたにも、

生まれてからこれまで

多くの雨の日がありました。

雨音を聞き、

雨の匂いを嗅いできました。

その中に迷いのかけらを感じたら、

これからを生きる道標となるような

体に眠った記憶があるかもしれません。

 

これはカウンセラーや精神科医を含めて

誰かに何かを言われて

感じたり取り出したりするよりも、

自分が落ち着いた時や、

仮に落ち込んでいたとしても

そわそわとしたり、

焦燥感を感じたり、

しないようなときに、

肩の力を抜いて

ゆっくりと想いを巡らす中で

見えてきたりします。

 

皮膚感覚に宿った記憶の蓄積の中は

認めたくないことや、

スルーしてしまいたいことも

あると思いますが、

同時に、

ホントは必要としているにもかかわらず、

眠らせてしまっている

光景や

音や声や

匂いや

手触りや

胸の鼓動や

そういったものがいっぱい眠っています。

 

どれもみな、

あなたとともに生きてきて、

今もこれからも、

あなたの味方になる感覚です。

 

ー今回の表紙画像ー

『月夜の大橋』

夜釣りついでに。