破綻したままの物語を生きていませんか

日々の棚卸

 

会社に行くことが辛くないですか。

仕事の話が、上司や同僚との会話が

苦痛ではないですか。

仕事自体がどうにも手につかなくなって

いませんか。

 

苦しいのだから、

さっさとやめてしまえればいいのだけど、

事情が許さない。

家族を養い、子供を食べさせる

ローンを支払う、

他に稼ぎ方を知らない

そして、

現在以外の未来を想い描けない。

 

そして、

いつの頃からか、何をしても

うまくいかない感じが続いている。

そんなことはないでしょうか。

 

何かを生み出そうとしている人でも

商品を売ろうとしている人でも

お金の計算をしている人でも

誰かをサポートしている人でも

人に指示を出している人でも

若い人でも、

年配の方でも、

社長でも課長でも平社員でも

正社員でも派遣社員でもパートでも

何をしているか、

どこに所属しているか、

どんな地位にいるか、

などに関係なく、

気がつくと、

いろんなことがうまくいかないまま

時間ばかりが過ぎてしまっている。

 

今の仕事は最初から

やりたいことだったでしょうか。

それとも仕方なく選択した?

今の家庭は

居やすい場所でしょうか。

それとも居場所はない?

ささやかでも未来の希望はありますか?

何を信じて、

今の生活を選択したのでしょうか。

 

生れた時からおかしい、

そう感じていたわけではないと思います。

 

何かを目指して、

何かを実現したくて、

今に続く人生に足を踏み入れたのでは

ないでしょうか。

きらきらとした100%自分らしい人生

とは言わなくても、

ある程度のところで妥協して、

それでもそれなりの収入と

それなりのステータスと

それなりの将来性と

それなりの安定性を

担保しうる生活。

多くの人にとってはそれが、

人生に求めたサラリーマンという

生き方なのではないでしょうか。

 

…その生き方、今もまだ有効でしょうか。

 

収入とステータスと将来性と安定性は

今もまだ破綻せずに続いているでしょうか。

自分が倒れかけてはいないでしょうか。

それらを破綻させないために、

別のところが破綻を招いていることは

ないでしょうか。

サラリーマンという活き方を

破綻させないために、

家族個々の無理が関係性を破綻させ、

自分もまた心が破綻し、

友人がいなくなり、

取り返しのつかない破綻を

招いてはいないでしょうか。

そんな中で、

今もまだかつての展望が続いている

そう思いこむようにして

自身の感情を誤魔化しながら、

生活を続けてはいないでしょうか。

 

もしそうだとするならば、

苦しくて当たり前ですよね。

 

あなたにとってのサラリーマン生活が、

想像を超える労働成果や

束縛、効率を求められているのなら、

何よりそこにやりがいも感じなければ、

思ったほどの安定性も得られていないならば、

そこはもう、あなたの居る場所では

ないのかもしれません。

 

あなたの居る場所、

それは働く場所かもしれないし、

仕事の内容かもしれない。

収入やステータスの捉え方が

古すぎるからかもしれないし、

世の中の見方の前提条件が

おかしいのかもしれません。

 

生きるため、

大切な人々を守るため、

全てを背負う必要がないが故の

雇われ労働が、

結果として生活を圧迫し、

心を病ませ、

関係性を破綻に導くなら、

本末転倒です。

 

かつての私がそうであったように、

働き方も仕事のことも

あなたもまた、

自分が経験したほんの一部のことを

知っているだけにすぎません。

 

達観という名のあきらめに浸り、

今の状態を正当化しながら、

動けないままでいる、

破綻したままの物語から、

人生自体を見直すところに

来ているのかもしれません。

 

ー今回の表紙画像ー

『川べりの散策道』