父母の関係が明らかに崩れ出した頃、
よく互いが過去に
いかにひどいことをしてきたかを
私に向けて訴えてきたことがありました。
それぞれが、まるで私を
裁判官か
兄弟げんかを仲裁する父か
何かのように見立てて、
白黒を、
自分の白と相手の黒とを
判決してほしがっていました。
「どっちが正しいと思う」
「どっちが悪いと思う」
ちょっとした言い争いならともかく、
たいていは相手の生き方、
言動、
いかに互いをバカにし、見くびっているか
そんなことを私に認めさせようと
言葉の限りを尽くしていました。
これらの言葉を浴びるたび、
体の内側から力が抜けていき、
あまりの哀しさに
その場にへたり込んでしまったことが
何度もあります。
十代の多感な時期だったということも
あったでしょうが、
片方の親からもう片方の親を
攻撃する先頭に立て、
と言われているように思えて、
それが自分の親であることも含めて、
ほんとにつらかったのは確かです。
このままでは自分がおかしくなってしまう
と思いながら、
そんな家族であっても
どこまでも続いていくものだ、
家族がバラバラになるのは
一部の特殊な話なのだと思っていました。
私が18歳になって親元を離れた後も、
時にはいがみ合いながらも
父母と妹が暮らす家は
そのままそこにあるものだと思いながら、
一人暮らしを始めました。
それからしばらくして
父が家を出て原家族の形が崩れました。
その時までに、皆が離れて暮らす私に
「この状況をどうにかしろ」と救いを求め、
私はどうしてよいかわからず、
手をこまねくうち、
ある者は自ら世を去り、
ある者は心を壊し、
ある者は体を壊し、
原形をとどめないほどに、
過去の形が感じられない状態に
なっていきました。
心のどこかで親と家族を求めながら、
そんな感覚をはっきり感じ取ることもなく、
彼らが自分に覆いかぶさってくる錯覚に、
ずっと恐怖を覚えてもいました。
そこから今の私につながるまでの
自分を受け入れる過程については、
他の記事で書いているので
そちらを参照していただきたいのですが、
それまでの私は
目の前のことに取り組んだり、
いつまでも苦しいと言ってないで
新しい世界に慣れ、
生きていくことを実践するために、
そんな過去がひたすら
“今”そして“これから”に向けて
意識を向けようとする自分を
阻害していることを感じ、
そんな過去を切り捨てよう、
忘れよう、
なかったことにしよう、
としていた時期がありました。
もう終わったことだ、
どうでもいいことだ、
そう言い聞かせるようにして、
何とか“これから”のことに
取り組んでいこうと躍起になって
もがいていました。
今にして思えば、
おかしな考え方だとわかるのですが、
その時の許容量を超えるような
ある種のショックな状況を
心に焼き付けてしまったことで、
恐怖がそれ以外を含めて
全て飲み込んでしまったのでしょう。
本当にあったこと、
本来あったことを、
少しずつ歪めていきながら記憶してしまい、
過去となって住み着き、
偽りの風景を見せるようになっていきました。
私の父は、
やや威張り気味で、
貧乏人の子だくさんの子で、
何とか日々の糧を得る
サラリーマンとして働いていて、
学歴コンプレックスで、
ヘビースモーカーで、
いささか自己中心的な人で、
それでも私と妹という
二人の子供が育つための糧を
常に運んできてくれた人でした。
母は、
やはり学歴コンプレックスで、
不器用で、
持ち家を持つことを夢見ていて、
当時の女性としては自己主張が激しくて、
感情的で、
頑固で、
批判的で、
それでも二人の子供を常に
抱き留めようとしてくれている人でした。
しかし、
耐えきれないほどの恐怖と
その後の強烈な孤独感とが、
過去を歪めて受け止めてしまう作用を
私の中にもたらし、
その歪曲した過去と“戦い”ながら、
家族も、親もそういうもの、つまり
私に孤独と恐怖をもたらす存在だ、と
位置付けようとしていました。
そういうことにすれば、確かに、
同じ穴に落ち込むこと、
つまり家族や親ともう一度繫がったり、
自分が親になったりと言うことは
ないかもしれけれど、
その代わりに二度と親密な関係に
出会うことはありません。
何より、自分の中に育んだまま遠ざけてきた
とても大切な何人もの自分と
再会することはありえないのです。
人が喜びや悲しみ、楽しさや怒りなどの
相克の感情を持ちつつも
高次のレベルで関係性を保ちながら
家族なり共同体なりの集まりを継続し、
それを内在化することで
人は繋がり続けるということを
わかっていませんでした。
当時の私の中で、
父はエゴイストの犯罪者で暴力魔、
母は身近な肉親を飲み込んでしまう卑怯者
という存在になってしまっていました。
そう位置付けないことには、
当時起こったことを理解できなかった。
自分という小さな枠の中からしか
世の中を見ることができていなかったのです。
枠を出て、
得体のしれない恐怖を克服する、という
発想もありませんでした。
二人の親もまた、
お金のない、
人並み以下の子供時代を送ったことに
端を発して、
常に苦労の連続の中で、
自分がいかに不幸かを感じ続けながら、
本来目の前にある幸福に気づくこともなく、
それを受け入れてくれるはずの伴侶が
自分を批判してくる現実を
俯瞰してみることができず、
そんな関係に耐えられなかったのでしょう。
そして最初の話につながります。
彼らなりの子育てが終盤に差し掛かる中で、
子供が何とか育ったと思ったところで、
ふと自らの空虚さがそんな形で
表れてきたのかもしれない、
それがちょっとした関係性の力学の作用で
哀しい方向に流れていった、
今はそう考えています。
両親はもう少し別の生き方を選択することが
できたはずだけど、
そうしなかった彼らを、
今の私は
無下に批判・否定することができません。
彼らからもらった恩恵を、
少なくとも私という存在が今ここにあり、
たくさんの私の総体として生きていられる、
そんなうれしさというか幸せを
感じられます。
何より、あの日々は同時に、
彼らにとっての全力の日々だったと
それだけは横で見てきた子供として、
はっきりといえるのです。
ちょうど今の私と同年齢の頃の親が、
過去に何を見出すようになったのかは
定かではありませんが、
彼ら自身を追い詰める言葉や行動が
繰り返し心の中に反芻されていたのかも
しれないなと、そんな考えが脳裏をよぎる
ときがあります。
今の自分がうまく生きられているように
感じられないとき、
往々にして過去の解釈が、
私たちの感覚に沿って生きようとすることを
邪魔をしていたりします。
今という時間に覆いかぶさり、
私たちという存在の無力さの隙間から
内側に入り込み、
無価値感を刺激してきます。
よーく見るとその過去は、
いかに自分の生き方が
自分の望みと異なっていたか、
自分はどれだけ不遇だったか、
そして自分はどれほど恵まれなかったか、
そういった解釈が手を変え品を変え、
今がうまくいかないような
作用を助長しようとします。
ほんとは、
その裏側には素敵な過去もまた、
たくさん横たわっていることに
気づくことができるといいのですが。
今の私は、
父と母が楽しそうに笑っているシーンを
皮膚感覚とともに思い出すことができます。
不平不満を言ったり、
互いを罵ったりしている二人と
同じ二人です。
子供だった私と妹二人を抱えて、
ささやかな将来設計を一人語る母と、
会社で文句を言われながらも
不満をたばこの煙とともに吐き出し
寡黙に稼いでくる父を覚えています。
それさえもまた、
どこまでがほんとのことかわかりません。
でも、先に示したような
苦しく哀しい出来事とともに、
リアルに私に迫ってくるシーンです。
過去は既に幻です。
これまで語ってきたことからもわかるように、
どこまでが正しくて
どこからが変なのかも定められない
フェイクです。
ただ、だからどうでもいい、
ということではないこともまた、
お分かりいただけるかと思います。
その“過去”にしっかりと向き合い、
自分を落ち着かせる幾ばくかの措置を取り、
多少なりとも冷静になった後、
それを誠実に受け止め、
フェイクを位置付けたとき、
これまでとは異なる、
自信が湧き上がるような未来を
語ることができるようになる、
そう思えてなりません。
ー今回の表紙画像ー
『町の夕景』
地下鉄をおり、地上に出て振り返ると、きれいな夕陽が雲をオレンジに染めていた。
最近のコメント