自らの中にある青空

日々の棚卸

 

日本列島は今年、

観測史上最も暑い夏になりました。

 

これを書いている今は9月半ばで

夏の終わりといいながら、

それでも、まだまだ暑い。

 

異常気象は世界的な現象といえば

それまでですが、

未だ猛暑日が出る始末です。

 

これは20世紀どころか15年前だって

ありえなかった状況ですよね。

 

ただ、何と言うか、

それでも私の周囲には、

こんな夏の暑さよりも冬の寒さに弱い

都会人もいます。

 

「確かに昔に比べたら

気温は高いんだけどさぁ、

それでもあの寒さと比べたらねぇ」

 

「寒いとやっぱり、

はぁ(と肩を落とす感じで)って

気持ちが落ち込む感じがするんですよね」

 

などと言われるので、

 

真冬の厳寒期に

海や川で遊んでいて、

さぶぃ~、ちべたぃ~と感じながらも、

 

早く冬が終わって夏がきてほしい、

などとは微塵も思わない

私のような輩からすると、

 

40度に届くようになった街に

暮らしているにもかかわらず、

冬の寒さを嘆く人がいるのか、と

 

一瞬だけ感慨深く思った後、

暑さに参ってへたり込んで

しまっています。

 

 

暑さは根っから苦手ではあるのですが、

経験した暑さはといえば

あくまで自分の国の中だけ。

 

昔に比べれば5度くらい

高くなった最高気温に

辟易としながら、

 

むわっとする大気を吸い込むと同時に

感じたことは何度もあるけれど、

 

中東やアフリカの砂漠のような

50度にもなる暑さも、

 

東南アジアの赤道付近の熱帯地方特有の

高湿度を伴うそれも知りません。

 

ですが、こと寒さについては

国を飛び出して、随分北まで

行ったこともあって、

それなりの感覚を経験しています。

 

前世紀の終わりごろ、

真冬の長期休暇に入る頃だから、

いわゆるクリスマス前後から年始にかけて、

 

まるで逃げるようにして、何週間か

当時まだ無名のフィンランドに

滞在することを繰り返していました。

 

顔を見せてほしいという両親から

どうしても遠ざかりたかったからです。

 

当時、父と母は、

夫婦の危機などと言う言葉が

甘く聞こえるほど

 

互いに、相手のことを、

無力な自分を追い詰め貶める存在とでも

感じていたのか、

 

互いに反目し合いつつ、

息子の私に自分なりの理屈を話して

味方になってもらいたがっていて、

それが私にはとても辛かった。

 

私に限らずとも、

子供が身を置くには

哀しい状況だと思います。

 

自分が生まれ育った家族、そして

そこに生じた長く深い闇が何なのかを

一旦、文化圏の外側に立って

観察してみたかったのかなとも思います。

 

読んでお分かりのとおり、

そうやって、たかだか数週間を

極寒の地で過ごすというだけの

中途半端な出国でしたが、

 

それでも旅は旅で、

初めて異国の中に身を置いて、

自分がどんな環境にいるのかを

悶々と感じていました。

 

滞在の間、

身体にわだかまる感覚はずっと

家族の闇に同化していて暗いまま。

 

今からすれば、

鬱病一歩手前の状況だったと思います。

 

そんな鬱々とした状態で、

当時はまだソ連邦が崩壊して

それほど間もない首都ヘルシンキに到着。

 

明るい時間は

朝9時過ぎから15時くらいまでと短く

行動の半分は夜の時間でしたが、

 

寒いと言ってもこのあたりでは

日本の真冬のいでたちで

何とか凌ぐことができました。

 

しかし、真冬の国土を北上しながら

それぞれの街に滞在するうち、

扁桃腺が腫れだします。

 

空気の乾燥度合いは半端なく、

衣服の外にわずかに出ている

地肌から伝わるのは、

寒さではなく痛さ。

 

2度目の渡航では

40度近い発熱でウンウンうなる羽目に。

 

サンタクロース発祥の地とされる

北極圏の街にも滞在しましたが、

 

ここまで来ると、もう、

痛い、を通り越して、重い、

という感覚に変わることは

どこかで書いたような気もしますが、

 

呼吸で鼻や口から入ってくる大気は、

体内とのあまりの温度さもあってか、

細かな氷の粒が一気に蒸発する感じで、

 

防寒着を着ていても

ホテルから一歩外出すると、

寒さのために動きが止まりかける始末。

 

21世紀に入って温暖化で

随分気温が上がってしまったことを

4回目あたりの渡航で感じましたが、

 

それでも、あの、

身体の外側と内側を固めてしまうような

寒さの重さは今もよく覚えています。

 

先に述べた通り、

鬱々としていることが多かったせいもあり

結構不愛想な表情をしていた自覚があります。

 

当時は日本人どころかアジア人さえ

見かけないほど素朴な場所だったので、

 

そんな不愛想な東洋人がふらふらしていて、

もしかするとよろしくない印象を

与えていたかもしれません。

 

さて、そんな滞在中のことです。

 

ド〇〇エのオラビ城のモデルとなったと

噂されるサボンリンナから

次の滞在地であるクオピオまで

移動したときのことでした。

 

行き方がわからず、

ホテルのフロントに尋ねたところ、

 

バスを乗り換えて向かう

(というようなニュアンスのことを、

たどたどしい英語で聞き取った

記憶があります)ということでした。

 

乗り換え場所は各地の路線バスが集合する

ターミナルステーションのようなイメージを

予想しながら、

 

(バスの乗り換え…)

若い人以外、英語もそれほど通じない国で、

なんともハードルの高さにビビりました。

 

積雪で一面真っ白になった道路を、

観光バスさながらの乗り心地の良さで

ベンツ社製のバスが時速100㎞で走ります。

 

そして到着した乗り換え場所は、

ターミナル云々どころか、

枯れた背の高い草が周囲を覆いつくし、

遠景に切り取られた青空が広がる

広場のようなところでした。

 

バスには10人も乗っていなかったと

記憶していますが、

 

その人たち全員が

その広場のごときところへ降車すると、

バスは走り去っていっていまいました。

 

どうやらここで乗り換えるらしい…。

 

言葉もままならず、

もちろん知り合いの一人もいない

異国の空き地のようなところに

ぽつんと置かれて、

何と言うか呆然とした面持ちに。

 

気温は零下15度くらいで

まだ十分“暖かい”場所ではあったのですが

晴れていたおかげだったかもしれません。

 

先にも書いた通り、

あたり一面枯草に覆われていて

周囲に何があるのかわかりませんが、

 

降車した人々の中には

 

寄り添うカップルがいて、

ベレー帽を目深にかぶったお年寄りがいて、

何か袋を抱えた主婦と思しき女性がいて、

 

つまり、なにげに人の暮らしを

感じさせる風景があって

 

その人たちは

それぞれの方法で時間をつぶしながら、

 

おそらく私を目的地まで連れて行って

くれるであろうバスと同じバスを

待っているようでした。

 

本当に、見事に晴れ渡った天気で、

ふと空を見上げると、

見たことがないほど

深い蒼の空が広がっていました。

 

その蒼さと深さは、

東京の冬の明るい空の色とは異なり、

まるで漆黒の宇宙の色がそのまま空に

滲み出ているようでした。

 

じっと空を見上げていると、

意識がその蒼に吸い込まれていくような

不思議な感覚に包まれました。

 

空の蒼さは、とても自由な感じで、

それは、

自分の対局にあるものなんかではなく、

自分の中の一部だ、

 

そういう感覚を与えてくれました。

 

いえ、見上げた空から、

降ってきた感覚とでも言えば

いいでしょうか。

 

 

今年も夏を乗り切りました。

テレビでは冬季オリンピックの話題が

出始めています。

 

あと少しで冬がきます。

 

見上げる東京の空は

今年も真っ青で美しいでしょう。

 

全て、私たちの一部です。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『今年最後の冷麺』

夕暮れはいつもきれい。