当ブログでお伝えする内容が
今を生きることに苦しんでいたり、
生きづらさを抱えている方が
小さくとも新しい視点や道筋を
見出すことができるように
時に愚直だったり
奇異に感じるかもしれないヒントを
提示させていただいたりして、
それが閲覧される方々にとって
何らかのサポートになっていればいいと
いつも思っています。
私自身、未来どころか
その時おかれた状況さえも不明だった頃、
その時の(心の)居場所はといえば
苦痛と混乱に満ちて感じられていて、
窒息しかけた生物が、
そこここを駆けずり回って、
酸素を求めるように
そんな場所から抜け出るための
解決の手段を探し回っていた
時期がありました。
当時を振り返って、
しみじみと感じるのは、
1から10まで自分にとって
フィットする答えはなかった、ということ。
つまみ食いというと変だけど、
この内容は自分のこの部分に
あの示唆はもしかしたらあの課題に、
という感じで
根気強く一つ一つ当てはめていきながら
気がついたらとても楽になっていた、
というものでした。
専門的にカウンセリングを受けたり
メンタルクリニックを受診したりして、
問題と解決のアプローチに対する
骨格を明らかにすることと並行して、
前述のとおり根気強く
自分の困苦を丸ごと解決するような
解はないけれども、
試行錯誤しながら、
継続していくと、
ある時ふと楽になっていた、
そんな感じだったのです。
そうやって今もこのように
発信を続けさせていただいているのは
当たり前ですが、
多分に個人の都合によるもので、
自分が提供できる何かで
これを読まれる方が
多少なりとも状況が改善したと、
知ることが
そのまま私自身がよくなる、
楽になる、幸せを感じられる、
という経験をしているからです。
ご存じのように、世にブログは無数にあり、
日本語だけでも
すべてのページを見つくしている方は
まずいないと思います。
そのために検索エンジンがあるわけですしね。
その中の、特定のいくつかのブログによって、
テレビや新聞や巷の本屋に並ぶ本などからでは
会得できないような、
自分が欲しい貴重な情報を得ている方も
大勢いらっしゃると思います。
ブログに限らずとも、
およそメディアと呼ばれる
あらゆる媒体が情報を発信している世の中は、
何かと迷い、時間に追われ、
必要な情報を求める私たちにとっては
とてもありがたい環境ですよね。
亡くなられたドラッカー氏は
コミュニケーションの得手不得手の観点から、
読んで書くタイプの人もいれば、
聞いて話す人もいると述べていましたが、
同じ理屈が
私たちが利用するメディアについても、
当てはまるように思います。
受信側として、
文章を読む、
絵を見る、
声を聴く、
映像を見ること、
発信側として、
文章や画像をアップする、
映像を届ける、
自分の声やパフォーマンスを発信するなど、
多くの選択肢があって、
それぞれの人が欲しい情報を好みに従って、
探し、閲覧しています。
私は心理のこと、家族に関すること、
そこで起こる問題とその解決について、
多くを専門家や本、
特定の方々の講和や
相談時のディスカッションの中から
体得してきましたが、
先日YouTubeを見ていたところ、
私にとってはすでに自明になっている情報が、
表現の形を変えてゴロゴロ検索されるという
経験をしました。
別に、自分の方が早くから知っていたなどと
言いたいわけでは全くなくて、
メディアごとに
情報の扱い方、見え方、吸収のされ方が
異なっていて、
そのいずれもが、
それらを必要とする人々ごとにあった
アプローチとなっているということなのだと
感じたものです。
私自身は文章を介して理解したり、
コトを伝えたりするのが
とてもやりやすいのですが、
それこそどんな形態がよいかは
その人ごとに異なるはずですから。
より良く生きるため、
生きづらさに対処するため、
情報の受発信の選択肢は複数あった方がいい。
きっと理屈では多くの方に
賛同いただけると思います。
インプット元もアウトプット先も
多様であること、
それらと“無理なく”つながることは
その時々の世情を含めて
自分にあった情報の授受の種類と
自身の資質を生かす可能性とを
増すことになります。
5Gというインフラ仕様が主流になることで、
今後ますます映像を主体とする
情報の授受が盛んになることを
告げています。
そんな中で
自分にとってのつながりやすい手段を
理解しておくことは、
実は必要なメッセージを的確に受け取り
必要な相手に伝えるために
意外に知られていない効用となるのでは
ないでしょうか。
私たちが兎角悩まされがちな、
家族のこと、過去のこと、仕事のこと、未来のこと。
今抱えている問題の原因や解釈。
それらは本当に正しいのか、
受け取り方におかしな歪みがないか、
ことにそれが、感情や偏った考え方に
押し流されていないか。
古びた考えに凝り固まっていないか。
私たちがつながるメディアの扱い方もまた
そういったことの解釈や
恢復に向けた方向付けに
影響しているかもしれません。
ー今回の表紙画像ー
『ちょっと古いヘルシンキのクリスマスシーン』
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