楽しもうとしてもうまくいかない

日々の棚卸

 

楽しむこと、楽しいという感情。

 

年齢を重ねるほどに、

楽しいぃーっ!

そう心から、いえ心だけでなく、

体中で感じることが

少なくなってきていませんか。

 

自分の中に存在しているはずの

楽しいと感じるセンサーが

いかれてしまった、わけでは、

おそらくないでしょう。

 

(間接的にはそうなのかもしれませんが)

楽しいことが減ってきた、とか、

楽しむ力が衰えた、とか

ではなくて、

 

楽しむことに必要な

骨格の一部が破損していたり、

筋肉の一部が機能しなくなっていたり、

 

あるいは、

楽しいと感じる基準となる

土台がガタガタに揺らいでいたり、

壁が崩れかけている、

ためなのかもしれません。

 

もちろん、

そうではないかもしれませんが、

 

比喩的に表現しましたが、

楽しいと感じる回数が減ってきたり、

楽しむ感度が鈍っているという感じは

 

そこにそうなるべき力学が

働いているのだと思います。

 

 

楽しいという感覚を

妨げるもの、遮るもの、減じるものは

何なのでしょうか。

 

例えば、

 

他に気になることがあって、

楽しいはずの何かに

集中できない、のめり込めない?

もしそうだとすると、

 

気になることが、

今生じている何かであれば、

 

それを解決するか、

時が過ぎ去るのを待つか、

そこから遠ざかるか、

 

すれば、

 

また楽しさの感度が

戻ってくるでしょう。

 

もちろん、そうは言っても

今生じている何かの内容によっては、

どの方法を取るのも大変かもしれません。

 

職場の上司との折り合いがつかなかったり、

同僚との間に軋轢があったり、

どうにも仕事が手につかなかったり、

ということであれば、

 

はい、では変えてしまいましょう、

と簡単にできるとは限りません。

 

ただ、今起きていることが問題であれば、

今にフォーカスして対処することで、

確実に楽しみを感じる感覚は戻ってきます。

 

しかし、今生じている何かを含めて、

過去に遡った要因があるならば、

 

その過ぎ去ったはずの何か、

引きずって気にしている何か、

楽しさを妨げる感情のもとに

アプローチする必要があります。

 

例えば、

 

楽しもうとすると、

楽しいことをやろうとすると、

それを疑う自分が毎回のように

あらわれるようなケース。

 

それをやって楽しいのか

(そんなことあるはずないだろう)、

ということです。

 

楽しいかどうかを疑うということには、

心のどこかに、

 

楽しんでなんてやるものか、

意地でも楽しまないぞ、

 

という感情が

しみ込んでいる場合があります。

 

何か楽しんでも良い前提条件を設定して

いるのですね。

 

私の場合であれば、

 

失った原家族がもう一度復活すれば、

とか、

 

苦しんだ親を幸せにしてあげられれば、

とか、

 

そういったありえないようなことが

達成されたら楽しめるようになる、

という無理ムリな設定をしていました。

 

裏を返せば、

こんなことやって楽しめたって、

結局楽しみの根幹でもありえる幸せは

戻らないじゃないか、

 

という卑屈とも卑下ともいえる感情が

楽しむことを大きく妨げていました。

 

折り合いをつけられないまま、

あの頃の子供の私自身が

泣いていたのでしょう。

 

そこを慰め癒し律していくうちに

徐々に楽しさの感覚が戻ってきました。

 

もしかすると、

楽しさの感覚というものに対して

勘違いを起こしている、

ということもあり得ます。

 

例えば、

 

子供の頃は

純粋にのめり込んで楽しめたのに、

という考えだったとしても、

 

子供の頃だって

楽しんだ後にとんでもないこと

(宿題するのを忘れて先生に叱られたり、

親にきついお目玉を食らったり)

が起こったり、傷ついたりして、

 

後からアップアップとしたことも

それこそ多々あったのでは

ないでしょうか。

 

楽しんだ後に来るかもしれない

見えない不安や

考えても仕方がない

週明けのプレゼンの出来のようなことを

考えすぎて、

 

必要以上に楽しめなくなっているのなら、

それは、

楽しむ感覚自体は正常で、

気のせいだということ。

 

 

そもそも論ですが、

なぜ楽しもうとしているのでしょう。

 

日常やくぐもった人生を変えたい、

などというのもあるでしょう。

 

でもそれらを掘り下げていけば、

楽しむこと自体が目的というより、

 

あなたが本当にあなた自身を

生きているかを感じたいから、

 

本当にあなた自身を生きる感覚を

取り戻す一助としたいから、

 

結果として、

生じる楽しさを今既に感じることで、

自分が楽しさと人生うまくいってる感に

一体化できる気がするから、

 

ではないでしょうか。

 

 

ともかくも、

楽しいという感覚は実は、

黙って与えられるものとは限らない、

ということです。

 

楽しいという感覚を自分と一体化して

感じられるために、やれることは2つ。

 

1つは、楽しむことを見つける試みを継続すること。

 

無理にのめり込もうとするのではなく、

普段の塞ぎこんだり落ち込んだり

している状態より、

 

ちょっとだけよりいいな、

と感じられるくらいで十分です。

 

その継続によって、

見失った自分の楽しみを取り戻す

ベクトルへ向かわせる。

 

もう一つは、

楽しもうとしている時に襲われる

逆方向の感覚を知り、

その真因を探ること。

 

こちらは簡単ではないことが多いですが、

真実を知っているのも自分なので、

カウンセラーや専門家の力を借りて

あきらめずに突き止めましょう。

 

楽しさの感度は、

自分らしく生きられているかの

バロメーターです。

 

そして、繰り返しになりますが、

自分で感じなおしていく感覚です。

 

 

MDL(My DeBr Life)の概要を知りたい方はこちらへお越しください

https://nBkBtBnihidetBkB.com/meeting/

 

個人の相談はこちらへどうぞ

https://nBkBtBnihidetBkB.com/business/

 

ー今回の表紙画像ー

『新緑』