未来を引き寄せる生き方

日々の棚卸

未来は自分が引き寄せている。

いつもの言い回しですが、そんなの当たり前だと思われた方がいたとして、どれだけこれを意識して日々を生きているのかなと思います。かくいう私もまたしかり。同じ理屈で、“今”は自分が引き寄せた『結果』です。

未来と一口に言っても、自分にとって良い未来か、意に沿わないものか、それもまた人それぞれ。何もかも完璧、完全無欠の世界を実現できれば言うことはありませんが、現実の幸不幸のモザイク模様を見るにつけ、“今”よりは多少なりとも良い方が増えてほしいとは思いますよね。

 

“今”いる場所

“今”いる地位

“今”ある関係

“今”ある収入と貯金

“今”感じる気持ちのよさ

“今”感じる無力感

“今”変えられるもの

“今”変えられない(と思い込んでいる)もの

“今”とった言動

“今”予測した考え

“今”・・・・・

 

繰り返しますが、“今”は、過去の自分が引き寄せた未来そのものです。

気に入ってるならもちろんいいのだけれど。

ちょっと気に入らないところがあるのなら、修正できるように動きましょう。私もまだ、このあたりにいるような気もします。

でも、もし嫌でいやでどうしようもない、もっとひどい場合にはこんな状況の世界になんていたくない、というのであれば、自分が“今”を引き寄せてきたそのあり方を見直しましょう。

「俺がどんだけ苦しい日々を生きてきたかわかってんのか!」「わたしがどれだけ残酷な目にあわされてきたのか理解してんの?」

申し訳ありませんが、確かにわかりません。

ですが、ここではそんな方が本当にその場所にいたくないのであれば、として書き連ねています。

「わかった、でもさ、引き寄せてなんかいないよ」

そういわれる方もいるでしょう。

でも、

引き寄せてなんかいない?

望まないものがどんどん寄ってくるって?

いえいえ、それを「自分で引き寄せた」と申し上げています。末尾に「自分の意に沿わず」とつけていただいても構いません。ですが、少なくとも『自分が自分にふさわしいと感じている』“今”を引き寄せていることに変わりはありません。

そんな受け止め方は嫌だ、気に入らないという気持ちはよくわかります。でも、自分以外に自分の“今”を引き寄せられる人はいません。この考え方は、実は一度は失ってしまったと感じている自分の夢とか希望をも手中に取り戻してくれる可能性を“引き寄せて”くれます。

 

どうにも嫌で気に入らない”今”を引き寄せるためには、大きく見てその因果があります。

私は宗教家ではないので、真理がどうのとか前世がどうだとか言うつもりは毛頭ありません。そんな知識もありませんし。

ただ、それでも『因果』という言葉を使ったのは、人というものはそういう生き物だ、と考えているからです。

あなたが、私が、そうであるように、人は皆、それぞれが固有の過去を持っていて、その過去の集積の上に出来上がってきた“自己”によって“今”を生きています。ここでいう“自己”とは、その人自身の感情のことであり、モラルのことです。言い換えれば、ものの見方であり考え方であり、夢や希望であり、絶望や挫折であり、好悪の情などのことです。その心身に宿ったあらゆる特徴を総称して“自己”と表現しました。

人は、自分が心の奥底で見たり思ったり評価している自分に『見合う』ように、他者や世の中を見、返ってきたり起こったりする言動や現象を受け止めます。

何かの歌にあるように、自分が受け止め感じたことは、合わせ鏡のようなものなのでしょうね。自分のどうであるか(何者であり、どう受け止めているか)によって、自分に返ってくる、あるいは表れる事象を解釈している、ということです。そして、この解釈の選択の繰り返しによって、“次”に向けた気持ちを動機付けし、言動を決めています。

 

要するに、未来を引き寄せる生き方とはつまり、自分という存在に対する自分自身の洞察によって決まる、ということなのです。洞察という言葉がピンとこなければ、前述した通り、自分は自分を何者だと思っているのか、どう感じていて何を許し、何を許さず、この先どんなことを思い描いているのか、そしてどう生きたいのか、といったことをイメージしていただければいいでしょう。

過去の集積が“今”を作っているように、“今”の繰り返しが未来です。最初に述べた通りです。

 

そうやって考えると、嫌でいやでどうしようもない“今”を生きている方へ次のようにお伝えしたいのです。

きっと成長する中で、哀しい、やりきれない、目をそむけたくなるような経験の記憶ばかりが積み重なるうち、『それ』はまた起こる、と予測して、危険を回避するためにそこにフォーカスする生き方をしてきてしまったんですよね。だから、何をしても、どこにいても、どんな経済状況や人の関係にあっても“嫌だ”という感覚が身に付きまとって離れない。だって、引き寄せのもとは自分の洞察だものね。そこに留まって、いつ起こるか、あるいは起こらないかもしれない危機ばかり想定して身構えてると、そういう場所がセッティングされてしまうんです。

これではかけがえのない自分など感じる余裕もないし、行き着く先に自分が望む幸せな未来が訪れることはないことはわかりますよね。

 

それでも、「そうは言っても」と言って、明日もまた同じことをしますか?

むか~しむかしのヒットソング『舞レボリューション』で、美里さんは「明日を乱すことさ」と言ってます。

 

だから、もしどうしようもなく追い込まれていて、かといって何かを思いついたり動いたりできないのであれば、まずはこんなことを試してみませんか。

 

そういうわけで、やってみてほしいこと。

1.自分は素敵でかけがえのない存在だと、繰り返しくどいほど言い聞かせる。ここが何より大切です。

2.自分も世の中も、今思っているより信頼できるという前提で行動する。でも、あからさまに危険な行動はとらないでね。

3.その過程や結果で生じた出来事に合わせて、生活や仕事や自分を含む人の関係を変えていく

 

いつも言うことですが、嘘くさいと感じているうちは、1はお経のように唱えましょう。これですべてが劇的に変わるわけではありません。ですが、この感覚が身に染み込むほど当然だと思えるようになると、つまりそんなことが表層意識にさえ上らなくなる頃には、その歩みが積み重なったプチ未来は、“今”より良くなって、しかも“今”の苦しみが無駄じゃなかった、と思えるようになっているから。

 

そうやって、自分の明日をどんどん乱していきましょう。