空の見方

日々の棚卸

 

川や海に遊びに行ったり、

買い物で街中(まちなか)を

歩いていたりすると、

 

時々、どうしようもなく、

空を見上げてしまうことがあります。

 

川も海も、

私が出かけるような場所は、

周囲に高い建物はないし、

 

電柱もなければ、

頭上に電線が走っているわけでもないから、

とても空が広くて良い気持ちになります。

 

でも、

 

街中のビルの谷間を歩いていて、

ふと駅のロータリーのような

開けた場所に出たり、

公園や駐車場の脇に差し掛かったりすると、

 

それなりに視界が開けて、

不意に空を見上げることもあります。

 

雨の日に見上げることが少ないのは、

空から落ちてくる雨粒が

眼の中にダイブしてくるから(笑)で、

 

時にアパートの中階から空に視線を

やることはあるものの、

 

雲で覆われた空を見上げることは

めったにありません。

 

見上げる空は、

晴れ上がった真冬の真っ青な色だったり、

夕暮れの美しいオレンジと藍が

融合した彩が浮かんでいたりします。

 

あ、夕暮れの空は、

見上げるというより、

地平線や水平線の少し上に

視線をやる感じでしょうか。

 

この角度で空を見るたび、

ある頃からずっと

何かを感じていたのですが、

それはまた後でふれます。

 

ともかく、空を見上げる時、

空の色ばかりではなく、

 

時には空を駆ける鳥の群れを追ったり、

高い空に白い線を引くジェット機を

じっと見つめていたりします。

 

暑さが苦手ということもあってか、

夏以外の季節が多いですが、

 

緑の田んぼや川の上に広がる真夏の青い空も

やっぱり良く見上げていたりします。

 

いったい何を探しているのだろう…

 

そう思ったことがありました。

 

単にちょっと息抜きをしたい、

きれいな風景を目にしたい、

というだけのことかもしれないけれど、

 

ある時ふと、

ざわつく自分の胸の声を聴いてみたら、

何かを探しているようだと感じました。

 

空を覆う雲の隙間から降り注がれる

日の光に感動した雨上がりの空を

何かの折に見上げた時、

 

その光をたどっていったら

空の向こうには

何か自分が欲する答えが見えるような

気がしていたのかもしれません。

 

同じことはきっと、

見上げる深遠な蒼い空の全てに

言えたのだろうと思います。

 

ですが、

 

それら、

 

高く、広く、深く、遠く、

 

自分には手が届かない場所には

求める何かがあって、

 

そこを見ることができたり、

まかり間違ってそこに行くことができれば、

 

今自分が抱えているこの混乱や苦痛は

静まり落ち着き、

 

哀しさに彩られた過去は浄化され、

残りの人生を静かに、

幸せに生きられるのかもしれない、

 

そういう、

 

あり得ない白昼夢と妄想の狭間に

自分を位置付ける羽目にも

なっていました。

 

これは、別の言葉で表現すれば、

永遠に非現実の世界をさまよいながら

救いを求めているのかなと

自分の中に疑念が湧きました。

 

必要な時には大切な逃げ道ですが、

 

そこにとどまりつづける限り、

自分にとってのほんとうの希望は

見つけられないのではないだろうか、と。

 

 

空の見方には別の角度があります。

 

最初にふれた、夕暮れの空を見つめた

あの話です。

 

小高い丘の上にある畑でひと作業終えて、

身体を休めながら

眼下の街を見下ろしたり、

 

少し高い足場の磯(岩場)から

海を見下ろしたりすると、

 

その少し先にも空が見えます。

 

他にも、そんな場所があるでしょう。

 

飛行機の操縦士などは、きっと、

空を見下ろすような気持になることも

あるのではないでしょうか。

 

ともかくも、そうやって空を見る時、

 

遠くにあるはずの空は決して高くはなく、

自分の目の高さにあって、

 

求める何かを感じさせてくれるけれど、

決して手の届かない場所にある

非現実的な世界ではなくなっています。

 

それに気づいたのは、

夕暮れの空をじっと見つめていた

ある頃からです。

 

そしてはたと思ったこと、

 

それは、

今自分が抱えている、

過去や現在や未来に対する

いくつもの混乱や哀しさもまた、

 

同じ見方をしてみたら

もしかすると変えていくきっかけを

つかめるのではないか、

ということでした。

 

手の届かない、

高く遠い美しさに思いを馳せてばかりで、

実質あり得ない恩恵を

ひたすら待ち続けるとするならば、

 

もっと哀しくて、もっと寂しくて、

一時の休息を過ぎてしまえば、

自分のスポイルにさえなってしまいます。

 

そこに包まれることの

安らかで柔らかい不安にくるまれる

世界を手放して、

 

自分が今いる場所でできることを

自分で選択して実行していくことが

そこから抜け出るきっかけです。

 

きっと、理想とは程遠いプロセスと

結果になるでしょう。

 

しかし、理想は理想で、

それ自体が叶うことなど

まずありません。

 

世の中の一部では、その理想を

『本物』『本物の世界』『本物の愛』などと

呼んでいたりしますが、

元来あり得ない世界です。

 

理想とは程遠いはずのプロセスと結果とは、

自分が自分の頭と手足で実現した

ささやかな自分だけの風景になります。

 

自分だけが歩んだ道のりで

自分だけがたどり着いた場所になります。

 

 

空は、見上げることがあると

とてもいいですよね。

 

それに切なさを感じたなら今度は、

見下ろせる場所に立つといい。

 

空は見上げるばかりが能じゃありません。

 

等身大の自分が

目の前にある風景を愛でるための試みを

始めてみましょう。

 

空の下にある現実こそが

一番大切なことに気づくかもしれません。

 

 

MDL(My Dear Life)の概要を知りたい方はこちらへお越しください

https://nBkBtBnihidetBkB.com/meeting/

 

個人の相談はこちらへどうぞ

https://nBkBtBnihidetBkB.com/business/

 

 

ー今回の表紙画像ー

『自作ラディッシュ』

 

かやねずみが見たくて、GWに科学館に行ってきた。

カヤネズミは肉食だけど、体長数㎝で、捕まえようとしたアゲハ蝶の羽であおられるほど小さい。

何と川にいるカモさんまで。

床には光色の魚が泳いでいた。