私たちの暮らしの中には
いろいろな自由があります。
もちろん自分で制限をかけなければ、
の話ではあるのですが、
とにもかくにも私たちは
そういう国に住んでいます。
一口に自由と言ってもいろいろあって、
言論の自由とか、
信教の自由とか、
表現の自由とか、
学問の自由とか、
きっとここを訪れる方には
釈迦に説法かと思いますが、
そんな自由の中で、
求めること、欲することの自由について
お話しさせてください。
★
何を求め欲してもいい。
欲するものはきっと、
年齢や生い立ちによって異なるでしょうが、
その時々で誰の中にもあると思います。
欲するもの…
ちょっと振り返ってみましょう。
例えば、
小学生の頃に欲しかったものって
何だったでしょう。
切望したものは何で、
その時、
『当然のようにそこにあったもの』
は何だったでしょう。
僭越ながら、私の小学生の頃は、
とにかく新しい自転車が欲しくて
仕方がありませんでした。
特に、
2年間だけ田舎に引っ越して
暮らしていた頃は、
周囲の少年たちは皆、
ピカピカの五段変速の自転車を
持っていたのですが、
私は小学1年生の時に買ってもらった
子供っぽい、そして錆びついた
古い自転車で、
見た目がとても格好悪い、
そんな自転車しか持っていなかったんです。
子供だったなあ。
当たり前か、子供だったんだから。。。
後はルアーセット。
そしてプロ野球選手になること、かな。
まだ、女の子に興味らしい興味を抱くには
早すぎたけれど、
その一方で、その類の物語は
同世代の子供たちよりは
好きだった気がします。
…失礼しました。
話しを元に戻します。
年齢を重ねるにつれて
誰しも求めるものは変わってきます。
楽しい!とか、嬉しい!
という感情も含めて、
欲するものはもっと
世の中でもてはやされるもの、
要求されうるものと
つながるようになることが少なくありません。
例えば、
生活のためのお金だったり、
メディアでもてはやされる人々だったり、
誰が作ったとも知れない成功物語だったり、
有名な学校や企業やスポーツや年収だったり、
そういった現実に存在するものが
目の前にあらわれる、
というより、意識するようになり、
いくつもの“欲するもの”“求めるもの”に
なっていきます。
その中には、
親、先輩や同僚、教師らとともに、
そういった“欲するもの”“求めるもの”に
つながることができるように、
学校を選んだり、会社を選んだり、
生活スタイルを作り上げていきます。
少なくとも、そう試みます。
まるで、それがあたかも
自分がそれらを最初からずっと
求め続けているかのように。
そして、人によっては、その後、
苦しいよ、辛いよ、と言い続けるようになったり、
その感情に蓋をして眦を吊り上げながら、
人生を生きていくことになります。
その頃には、
子供の頃に求めるものの底に
『当然のようにそこにあったもの』は
見失っていたり、
なくしてしまったりしていることさえ
あったりします。
そう、本当は、それこそが
自分の求めた生き方を実現する中で、
世の中に受け入れられていると
感じることかもしれないのに、
どこかで見失ってしまっている…。
そこに気づくと、今度は、
自分はフェイクを欲していたのかと
項垂れることもあります。
★
ここまで考えると、
何十年も前の子供に戻って、
最初からやり直したいと思ってしまう人も
いるかもしれません。
いかがでしょう。
私は長く、
‘それ‘を見失っていた時期がありました。
私が頑固だからなのかもしれませんが、
私は一貫して、子供の頃に戻って
最初からやり直したいとは
思いませんでした。
なぜなら、そんなフェイクも含めて、
私が求めたのは事実だからです。
理由はどうあれ、
それは私が歩んだ道の一部です。
私の人生と、
切り離せるはずもありません。
そうなるにはそうなっただけの理由があって、
それもまた自分自身であり、
自分の大切な人生の一部です。
もし変えたいのなら、
自分が納得するように、
今からそれらを修正すればいい。
もう一度、
「欲したものは何だろう」と
自らに問うてみましょう。
そして、次の問いに答えてみてください。
自分が本音で欲していない限り、
‘それ’を生み出すこととは関係ない仕事に
打ち込めるでしょうか。
‘それ’に繋がらないことで
心を満たすほどに楽しむことは
できるでしょうか。
‘そんな’生活の先に、
自分を抱き止め、充実させられるような
自分のための人生がありえるでしょうか。
その答えは、
火を見るよりも明らかなはずなのに、
「食べていかなきゃ」
「よく見せなきゃ」
「世の中に受け入れられなきゃ」
…
そんな表層的な理由になるようなことを
“欲するもの”と受け止めて、
エッセンス=本質と見誤って、
金科玉条のごとく扱う中で作り上げてきた、
世界中の人々の同質性が、
今の時代、まさに崩れてきています。
“欲するもの”はおそらく、
もっと素朴でもっと、
自分の身近で、
それでいて何としても
それを実現・維持したい、と、
心が震えるような
「当たり前」のこと以上でも以下でもない
ものではないでしょうか。
ずっと昔から、
ずっと自分の内側にあって、
ずっと自分を守ってくれている。
ほんとはそこが欲しいところではないのかな。
後はおまけみたいなものかも。
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ー今回の表紙画像ー
『人参採れた♡』

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