プラナリアという水棲生物がいます。
2021年に逝去された直木賞作家である
山本文緒さんの小説の題名にもなっていて、
ご存知の方はご存知かもしれません。
プラナリアは、温度や水質の管理は
金魚やメダカより面倒なのですが、
それさえしっかりやれば
誰でも飼育することができます。
もっとも、飼いたいという人は
そういないかもしれませんが。
プラナリアは不思議な生き物の一つで、
身体を刻まれ切断されても、
それぞれの切片が
完全な個体へと再生する
驚異的な能力を持っています。
上述した条件である、
水質が悪化したり、
温度が“適正”範囲(20℃代半ばから後半で
30℃を超えないこと)を外れてしまうと
死んでしまうのですが、
“適正”な環境を守ってあげる限り、
理論上は永遠に生き続けることが
できるのだとか。
なんとも優れた恒常性維持機能を
有している生き物です。
翻って私たち人間は、手足を切断されると、
そこからまた個体が再生させることは
できません。
それも想像すると何だか気持ち悪いですが。。。
考える脳を持ち、それが本能を上回って
人生の様々な場面に影響を与える人間が
脳以外の断片から完全に再生されるというのは、
これはちょっとしたSFホラーになりそうですね。
ただ、私たち人間(に限りませんが)の身体は、
プラナリアと同じ部分もあって、
それは恒常性維持機能を有している、
ということ。
指を切ったり、
膝をすりむいたり、
足を骨折したり、
高熱を出して寝込んだり、
夏バテで動けなくなったりしたところで、
“適正”な環境に身を置いて、
“適正”に身体を休ませれば
基本的には元に戻ります。
つまり、私たちの身体自体が死にたがる、
そういうことはまずもってあり得ません。
★
先のホラーチックな話ではありませんが、
プラナリアに意志があったと仮定します。
彼ら(?)が、自発的に
生命を維持する環境の外に出ることは
まず考えられません。
彼らには、
生を断ち切る理由を選択することは
ありえませんし、
感情に乗っ取られて死を選択することも
ありえないからです。
それ、つまり死を選択するのは、
いえ、それ以前に
自分を必要以上に傷つけるような
行動を選択させるのは、
人の頭だけです。
決して切り離すことができない
人の脳、思考です。
一方、典型的な鬱病は、人にもよりますが、
通常は、
“適正”な環境下で休息し、
“適正”に投薬が行われれば、
8か月から1年の間には症状は治まる、
と言われています。
実際には、
働き方や仕事があっていなかったり、
人の関係の処理がおろそかなままだったり、
生活スタイルがよくないままだったりして、
再発してしまうこともよくありますが、
ここから少なくとも、心もまた身体同様、
明確に恒常性維持機能を有していて、
生きようとしている(部分がある)ことが
明らかになります。
以前より述べているように、
私たちの人格は必ずしも1つではなく、
様々な私たちが存在していて、
それらが状況や状態に応じて
ある人格が強くなったり弱くなったりして
行動を選択することがままあります。
そして、現実を見ると、
そんな私たちの心の恒常性維持機能が
有効に働いていないように見える
事例が少なくありません。
人の間に立っては自分を責め、
返す刀で違いのある人を見下し、
まだ決まっていない先に過剰な不安を抱き、
未来に希望を抱けなくなって
心を病んでしまう。
これらのことを素直に見るだけで、
何かが、私たちの心の恒常性、
すなわち、
心が生きる方向へ舵を切って
その人の生、少なくとも生き生きとした生が
維持されるのを妨げていることがわかります。
時にはそれが、最悪の結果をもたらすことは
これまでにも何度か述べてきたとおりです。
その原因が、脳、思考であることは
今さら言うまでもありませんが、
その「何が(生きようとすることを)妨げて
いるのだろう」、
その問いが今回のブログのお題になります。
「もうダメだ」
「どうしようもない」
というのは本当なのでしょうか。
怒鳴られたり殴られたりすることを含め、
誰から何と言われようと、
自分の欲するもの、例えば、
誰からも文句を言われない、
優しくされたい、
心身が楽な状態でありえたい、
安全安心な環境で過ごしたい、
そういった欲求と、
世の中から評価されうるもの、例えば、
仕事ができて、
異性にもてて、
お金があって、
社会的なステータスもあって、
…といったこととの、
おそらくは、達成するためには
相反する力が必要なことを
意識を少し掘ったどこかに
両立させようとしている自分が
いないでしょうか。
それが誰とも繋がれない、
未来に絶望して、
自分をどんどん貶めていく
メカニズムであるように思えます。
両立できる人はそれでいい。
でも、両立できない人は少なくありません。
孤独とは、
自分と繋がっていないことだと
聞いたことがあります。
自分と繋がるとは、
自分の中で自分の大切なことに対して
優先順位がきちんとあって、
それを基準に生きていくことだと思います。
幸せに生きていない、
鬱々としている、
いつも何か誰かに苛立っていて、
いつも何か誰かに怖れていて、
いつも何か誰かに絶望を抱えている、
そういった、
恒常性維持機能が十分発揮され得ない状態は、
逆に言えば、
立ち戻るところへ立ち戻ることの
本来の自分からの切実な要望だと
私は考えています。
そこには親とか上司は関係ないことを
示してくれてもいます。
そうすると、次に何をどうする行動をとるかは
自ずと見えてくるのではないでしょうか。
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ー今回の表紙画像ー
『トマトの汁を吸うキタテハ(蝶々)』
お盆前に故郷の川へ。端から下↓を見ると
相も変わらず野鯉が悠々と泳いでいた。
空には飛行機雲。
炎天下を3㎞ほど歩いたけれど、ちょっと気持ちがすっきりした。

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