新しい風は吹き続けている

日々の棚卸

 

 

若い頃、自家用車で

家の近所にこんなルートがあったんだ、

という道を何度か通ったことがありました。

 

走りやすい広い道だったのですが、

交通量が少なく、

また自分の活動範囲で

あまり使わない方向に延びていたこともあって、

使用していなかったんですね。

 

その時はそれだけで、

ただあまり見ない道と風景だという印象が

何となく記憶に残ったくらいだったのですが、

 

ある時その道が当時自分が通っていた

会社までの通勤経路になり、

何となく感慨深くなった記憶があります。

 

これは私に起こった

ささやかな出来事ですが、

皆さんはこんな経験はないでしょうか。

 

 

ずっと知りたかったけれど

なかなか見当たらない情報が

何となくネットを流し読んでいたら

ある時突然目に入ってきた。

 

いつも何となく眺めていた

静かな道沿いの建物が

新しく暮らす住居になった。

 

なくした場所を必死に探していたのに

全然見つからなくて諦めていたものが

探すのをやめた後でなぜか出てきた。

 

何となくよく見かけるなと思っていた

車を購入することになった。

 

縁がないだろうなと思っていた憧れの人と

日常生活を少し変えた後で

会うことができた…。

 

このような出来事を私たちはよく、

偶然と表現します。

 

当然ですが、

偶然は起こる時には起こります。

 

昔なら、「へぇー」とか「ラッキー」とかで

済ませていたそれらの出来事。

 

ある頃から、こういった出来事は

本当に偶然なのだろうかと考えるように

なりました。

 

そう書いたということは、

私的にはそうではないと思う

ということです。

 

つまり、

こういった出来事を偶然とするかどうかは

実は当人次第なのではないか、

そう考えているのです。

 

確かに、

そうなることの予測はつかないかもしれない

けれど、

 

その出来事が起こるべくして起こった、

という意味においては、

決して偶然とは言えないのではないか。

 

ここでちょっと考えてみたいのですが、

そもそも偶然とは何なのでしょう。

 

ちょいと某検索エンジンに同居(?)されている

有名なAIさんに聞いてみたところ、

 

起こることが予測できないこと、

原因や因果関係がわからないままに

物事が起こること、とのことでした。

 

これとは反対の言葉である必然とは、

起こることが予測できる、

原因や因果関係がわかる、

ということになります。

 

だとすると…

 

『そうなることの予測はつかない

かもしれない(=偶然))けれど、

事が起こるべくして起こった(必然)』

というのは

どう受け止めればいいのでしょう。

 

偶然でもあるし

必然でもあるのかもしれない、

 

偶然でもないし

必然でもないのかもしれない、

ということでしょうか。

 

自分で書いていて、

なんだかよくわからなくなってきて

しまいました。

 

 

以前、前野隆司氏の

『脳はなぜ心をつくったか』を引用して

意識と行動の関係に触れたことがあります。

 

私たちは何かを行う時、

自分が意識してその後で行動を始める、

と思っていますが、

 

実際には、

意識するコンマ数秒前には

行動が始まっている、

 

という実験結果が出ている、

と書かれています。

 

私たちは意識して行動を始めるという、

意識の必然性を信じていますが、

 

意識する前に行動が始まる偶然性に

支配されているという実験結果だ

と理解できなくもありません。

 

ですが、後者、

つまり意識する前に行動するトリガーが

あるはずであって、

それは無意識だ、とも述べている。

 

もしそうだとすると、

私たちが取る行動は

即時的には制御できない部分に

よるものなのであるにしても、

偶然と呼ぶことはできません。

 

しかし、無意識を持ち出されると、

必然と呼んでしまうには、

とりがーとしては少々クラウドチックすぎて

曖昧な感じになります。

 

 

偶然か、必然かの決着をつけたい

わけではありません。

 

今回述べたいことの、

それは本質ではないからです。

 

偶然とも必然とも言えない結果としての

出来事があって、

それがある時から、

私たちにとっての新しい日常になることがある、

 

だとするなら、

こう言えるのではないでしょうか。

 

私たちの前にはいつも、ただただ

新しい機会の風が吹き続けている、

 

その機会とは、

決して私たちに無関係なのではなく、

私たちがささやかに気に留めたり、

時には明確になっていない願望だったり、

につながる可能性があるものである、

 

と。

 

風はいつも吹いています。

 

例え私たちが、

 

落ち込んでいようと、

絶望していようと、

怒り狂っていようと、

怯えていようと、

全てを諦めていようと、

 

ただただ、

そこを吹き抜けています。

 

本当の無風というのは

めったにありません。

 

この風は何かと言うと、

日々の中で起こしている

自らの行動の変化がもたらすものです。

 

この変化をつかめばすべてが良くなる、

などというつもりはありません。

 

人生を自分が納得するように生きるための

数々あるきっかけの一つだということです。

 

やたら行動で予定を埋めている人が

しばらく休む、家に引きこもることは、

一つの変化です。

 

もちろん反対に、

引きこもりをただひたすら継続しても、

変化は起きません。

 

繰り返しになりますが、

 

真夏の蒸し暑い不快指数100%の中でも、

木枯らしが吹きすさぶ真冬でも、

今目の前をきっかけの風は流れています。

 

それを感じ、

流れに乗るかは自分次第。

 

その流れが偶然かどうかよりも、

自分が何を求め、どう生きたくて、何が嫌で、

といったことを実現していくために

どうしたらいいかわからないとき、

 

その風が吹いているのを感じられたなら、

恐れずそれに乗ればいい。

 

そもそも、その積み重ねで私たちの今が

あるのですから。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『夏の夕暮れ』

夏の終わりの遊水地でコサギが休んでいた。