答えが見えない日は問題と仲良く

日々の棚卸

 

一人でいても大勢でいても、

友人や恋人や家族といても、

仕事の関係者といても、

 

何かと関係性を損なうような

良くないことが起こる。

 

家事をしていても、

働いていても、

趣味に没頭していても、

 

ふと気がつくと、

何かと嫌な記憶に包まれる。

 

どうやっても、

どう受け止めても、

どう振舞っても、

 

腹が立ったり、

哀しくなるような結果が生じる。

 

こんなことばかりが続くなら、

もうこれ以上もたないかもしれない、

 

そう真剣に悩む。

 

もうこれ以上、

 

こんなことしたくない、

こんな場所行きたくない、

こんな人と会いたくない、

 

そう『切に』感じる。

 

一方で、

 

その場所から、

その人から、

その仕事から、

 

離れることは難しい。

 

だから、

そう『切に』感じる自分を、

 

押し殺したり、

誤魔化したりして、

 

目の前の現実に自分を合わせ込もうと

 

もがく。

 

当然、

目の前の現実や自分の本音とのギャップに、

 

悩む、

 

ではなく、

 

苦しむ。

 

そして、

 

何でこんなに自分にとって

嫌なことが目の前にあらわれるんだと、

 

最初は苛立ち、

やがて悲観的になり、

ひどい時には鬱に落ち込む。

 

それが続くと、

生きる気力自体が衰えてきてしまう。

 

……

 

嫌なことを書いてきてしまいました。

 

全て、今よりずっと若い頃の私に

起こったことです。

 

今読まれているあなたに

これらすべてが

当てはまることはないと思いますが、

 

一部でも当てはまることがあるのなら、

少し目を通していただければと思います。

 

 

人は合わせ鏡だという言葉は

誰もがどこかで耳にします。

 

それはその通りなのですが、

なかなか身体の感覚的に

落とし込みにくい感じもしないでしょうか。

 

今の自分の感覚が、

なぜ目の前にあらわれる現実と

シンクロしてしまうのか、

という意味です。

 

おそらく、

体感的に、「あ、そうか」と

わかっているなら、

そうやって目の前にあらわれることは

ないはずですよね。

 

というより、

 

目の前にあらわれることによって、

何かを伝えている、とも言えますが。

 

今現在、

「こう思っているから」

「こう感じているから」

 

目の前にその感覚があらわれる、

とは限らないのですよね。

 

時間を遡ったり、

心の奥深くに旅をして、

 

目の前にあらわれる状況とつながる感覚を

見つけ出してくる必要があります。

 

そもそも、

よほど、明示的に自己を罰しようと

しているのでもない限り、

 

嫌なことが起こることを

願っている人などいるわけありません。

 

辛いこと、哀しいことが起こることを

願っていることなど

あるはずがありません。

 

それでも、嫌な現実が

目の前にあらわれる…。

 

1つ例をお話しします。

 

ある女性は、

なぜか親しくなる人(男性も女性も)ほど、

衝突するようになるといいます。

 

衝突と言ってもちょっとしたものではなく、

それこそ暴力一歩手前の

激しい口論だったり、

 

長く口を聞かなくなるような

衝突だったりするそうです。

 

彼女はそれがどうにも

嫌でいやでたまらない。

 

それはそうでしょうね。

 

嫌じゃない人などいるはずもない。

 

なるべく争わないように、

相手との間に不穏な空気が流れると、

 

時に穏やかに、

時にはぐらかしながら滔々と受け答えし、

時に笑顔で、

 

対応するのですが、

 

最後は決まって、

雷のような凄まじさと

泥沼のような抜け出しようのなさの

争いに陥ってしまいます。

 

繰り返しになりますが、

こんなことが起こる現実を願っている人など

いるはずもありません。

 

しかし、です。

 

よくよく彼女自身を内観してみれば、

彼女の両親、つまり父母の関係は、

そして彼女と父母との関係は、

 

今目の前にあらわれているそれと

そっくりだったことに気がつきます。

 

結局、彼女の両親の最後は

私の場合と同じように離散し、

 

それまで家族をつなぎとめていくために

生きていた彼女は、

途方に暮れてしまいました。

 

世の中ではよく、

 

今が行き詰っているなら、

 

何か楽しいことを見つけて生きよう、

とか、

 

ワクワクすること、ドキドキすることを

おいかけよう、

とか、

 

幼少時代に自分が没頭したことを

再開してみよう、

とか、

 

いろいろ言われますが、

 

これはそうやって育ってきた人にとっては、

ずっと良くなった後の話だという

場合があります。

 

もしもう一度、

この争いの中から新しく安定した

親しい関係を構築出来たら、

 

かつてのトラウマを乗り越えられるかもしれない、

もう一度親しい関係を信じられるかもしれない、

という幻想が、

彼女にとっての現実だからです。

 

そして、

入れ代わり立ち代わり

同じような人間関係が生じる理由でもあるわけです。

 

無意識に招く(演出してしまう)関係、

そして目の前にあらわれる現実の

理由なのです。

 

だから、もし、

今目の前にある出来事が

自分が招いたものだとするなら、

 

そこに自分の願いの本質も

垣間見えている、と言えるのかもしれません。

 

願いが正しいという意味ではなくて、

教えてくれていると言うことです。

 

自分が何をどう願っていて、

それが今目の前にある形であらわれている、

ということであれば、

 

修正すべきは修正して、

もう過ぎ去っているはずの過去を

しっかりと受け止めた上で

しかるべき時間に戻ってもらいましょう。

 

簡単に忘れられるものではないですし、

容易に答えが見えるものでもありません。

 

できることは、

それをもう一人の安全な誰かと安全な場所で

共有し続けながら、

自分と、そして自分が抱える問題と

仲良くしていくことです。

 

好転しないなら、

好転しないなりに、

今の自分、それまでの自分を

しっかりと認めてあげましょう。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『バジル』

モンシロチョウが舞ってますね。