新しい世界を求めよう

日々の棚卸

 

会社員をしていると、

それがどんな分野の

どんな位置づけの

どんな内容のものであれ、

成果を求められることは

誰もが知っています。

 

いえ、仕事である以上、

会社員かどうかは問わないのが

現実ではあるのですが、

 

ともかくも、

私のようなスーパー凡人には

成果を出しにくい世の中になっているのは、

誰もがうっすらと感じていること

ではないでしょうか。

 

競争者が海外に少なかった頃より、

高い成果が求められ、

しかも、

その成果を出すことが当たり前、

つまりボーダーラインになっている。

 

10年前と比べ、

20年前と比べ、

前世紀と比べ、

 

同じことを実行して結果を得ても、

認められなくなっている、

という言い方ができるかもしれません。

 

同時に、というべきか、

だから、というべきか、

人が少しずつ、

内にこもるようになってきてもいる。

 

単純な引きこもりという場合もあるけれど、

これは決して批判ではないし、

堕落でも偶然でもありません。

 

人によっては八方ふさがりと感じる世の中で

そんな状況ならば、

自分の欲する方向へ向かおう、と思い、

 

自分は何をしたいのだろう、という

内観的な意味合いにおいて

少なくとも一度は自らの内に

こもる必要があるわけです。

 

★

 

日本の職業の形態は、

昭和30年代は8割以上を

農家を始めとする一次産業従事者が

占めていたといいます。

 

それが今は、

9割近くがサラリーパーソン、

つまり被雇用者になっています

(パート、アルバイトを含む)。

 

このプロセスで起こったことは、

まだ現在より生産性が低いが故に

十分な収穫が得られない日もあり、

明日の糧の保証に乏しい、

そして金銭的にも十分でなく

保険にも入れなかった多くの人々が

 

それらを満たすことができるように

会社勤めを目指した、

ということではないかと思います。

 

もっとも、会社という組織もまた

明治の勃興期には、

一日16時間労働などが行われていて、

時代を経る中で労働基準が設けられ、

労働者が守られる法律が徐々に整備され、

今の形態になったのですが、

 

それでもおよそ

『暮らしを安定』

させることができるという意味で

誰もがこぞって会社勤めを選択したのが

流れだったのだと思います。

 

『暮らしの安定』とは、

人の最低限の生活の保証のようなものです。

 

言い換えれば

衣食住と安全と、そして、

ささやかな未来への余力感を得ようとして

誰もが必死に働く、そのために

自分の居場所を確保しようとしてあがく、

 

そんな社会が、

出来上がったということができます。

 

それが伸びている、

つまり会社ないしそれに準ずる組織が

成長している頃はまだ良かったわけで、

 

上司から理不尽な振る舞いや

暴言があろうと、

飲み会や社員旅行の強制があろうと、

とても手に負えなかったり、

時間内では終わらないような仕事を

抱えていたとしても、

 

“安定”の中にいられると思えれば、

自分を何とか律することができました

(現実には家庭内でそれにとって代わる

混乱が起こっていたことも事実ですが)。

 

しかし、成長が止まり、

新しい飯の種が生まれてこない中で、

既存市場(パイ)の奪い合いになった頃から、

 

潜在していた

不満、不快、苦痛、絶望、抑鬱、憤り、寂しさ、

心細さ、無力感、

そういった種々の感情が

人々の中に表面化するようになりました。

 

『暮らしの安定』を求める取り組みが、

いつしか自分自身、そして、

自分の家族、友人との関係を不安定にさせ、

時には取り返しがつかないほど

互いに傷つき、

 

それまでそれなりに

自分の手中にあったはずの未来が

自分の想定の外に広がり、しかも

暗闇に埋もれるようになってしまった人が

増えてきている。

 

★

 

『暮らしの安定』なるものの中に、

世間の評価、

誰が決めたとも知れない成功物語、

という名の、

大金稼ぎや名声を得ることなどが

混在していることに気づいた人々の中に、

働き方を変えることを

試みる人々が出てきました。

 

もちろんいつの時代にもあったことですが、

それが今の時代になって、

特に顕著にみられるようになりました。

 

自分ができることは何か、

環境は適しているか、

どんなことに貢献したいか、

そこがダメな時の代替手段を得ているか、

そして自分は本音で何を求めているか、

というようなことを考え、感じ、

 

自分にあった働き方、仕事とは何か、

時々刻々と変わる世界とテクノロジーの中で

どんなことをしようとしているのか、

そういったことを検討する中で、

 

かつて、

保証の無さ、労働の辛さ、未来の希望のなさ

などから、

一度は人が離れていった一次産業に

また人が集まりだしました。

 

それでうまくいくかはわかりませんが、

少なくともある種の『余計な』名声や評価、

人に威張るため得る収入を捨て、

 

決して自分の才能を知ったからとか、

得意分野がわかったからとか

そういこうことではなく、

 

今は様々なセーフティネットがある時代を

自分の気持ちが赴くところへ向かう人が増え、

そんな生き方が注目を浴びています。

 

これはもちろん

一次産業に限ったことではありません。

 

誰もが自信を見失い、

どう生きたらよいかという指標を見失い、

果ては自分自身も見失った世界で、

 

成り立たなくなった古い指標を捨て、

そこで今も威張っている人々を振り切り、

自分と向き合いなおして、

たった一度きりの人生を悔いなく生きる

道のりを選択しようとしているのです。

 

当ブログもそうですが、

ネットを使った情報の発信が

新しい職業を産んで久しくなります。

 

仕事は淘汰され、集約される一方で、

新陳代謝が新しい職業を

生み出してもいるのはご存知の通りです。

 

そうであるならば、

たかがある組織の中でうまくいくかどうか、

成果を出せたか、

人の関係でこじれているか、

居場所を感じられたか、

などということは、

実は何とも微々たることだと思うのです。

 

そこで心を腐らせて

「どうせどこへ行っても同じ」などと

やってる間に

本当にそうか試すといい。

 

当然ながら、一人で新しくはじめるのも

新しい集団の中に飛び込むのも

同じことです。

 

これだけ多くの人が多様な形態で働く中で、

自分がどこへ行っても同じ、などとは

世界に対する不遜ではないでしょうか。

 

世界は、私たちが知るよりずっと

広く大きいのですから。

 

★

 

生産性の向上は、

大企業化の必要性とつながる、

と聞いたことがあります。

 

生産性とは、

既存の業務について

高効率で成果を出す指標のことです。

 

仕事が息苦しくなるわけですね。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『さらに季節外れのアサガオ』

 

横須賀田浦港では、11月1日自衛隊記念日の電灯艦飾(電飾)が行われていました。

多くの人が撮影に訪れていました。