「はようせい」という言葉があります。
「早くしろ」という意味で、
西の方で使用される言葉です。
「早くしろ」って、
冗談でもあまり使いたい言葉ではないし
もちろん言われたくありません。
例え、相手が、
あるいは自分がもたついていた、
としても。
この言葉、
口調や、発せられる状況にもよりますが、
「さっさとしろ」
「遅いんだよ」
「のろのろするな」、など、
上から目線や命令的に言われてしまうと、
右から左に流すには
どうしても心の片隅に引っかかって
しまうこともあります。
人によっては、ですが、
きっと、
公私にわたって、
日常的に耳にすることもあるかもしれない、
そんな言葉です。
企業の中では、
こんな感じで使われることもあるとか。
とある部署の課長が、
新しいビジネスのネタとして、
練ったアイディア、
及びその試行結果をまとめて
役員会議で提案したところ、
その部署の管掌役員曰く、
「なんで早くやらないんだ!(=早くしろ)」
とのこと。
これはその提案が了承されたことを
意味するもので、
新しいテーマとして進める指示が出た
ということになるそうです。
その役員もまた周囲の同僚の目を
気にして
「俺はすべて把握しているんだぞ」
という感じで
そんな言葉を選択したのでしょうか。
こういう程度なら、人にもよりますが
仕方がないかな、しょうもないな、
くらいですませられるかもしれません。
ただ、そういう使い方を
初めて耳にした時には
妙なやりきれなさを感じたことを
覚えています。
突然、
何の話だと思われるかもしれませんが、
私たちが暮らす社会の話をさせてください。
幸か不幸か、
自由資本主義社会に生きていると
“自由”に“お金”を稼ぐ権利が
自動的についてきます。
某隣国のような共産国では
願って得られるものでもありません。
一方で、
“自由”と“お金”が結びついて、
効率化が求められると、
そこには、
“上の立場”(=力が強い立場)にある者が、
“下の立場“(=力が弱い立場)にある者に
向かって
『モノ化』した言葉を投げかける関係が
生じえます。
『モノ化』と言うと、
少々ピンとこないかもしれません。
ちょうど動かない心と身体を
無理やりに動かすために、
自らのお尻を蹴飛ばして動くことを
強要する形で、
自分をコントロールしようとすることを
イメージするとよいかもしれません。
時々話をさせていただく
アルコール依存症のような
嗜癖=アディクションの本質は、
自分の人生をあたかも
コントロールできているかのように
(一時的に)感じられるように
依存対象にのめりこむことなのですが、
実はその中に
自らのモノ化との対の関係があります。
そして、これはそのまま、
他者との関係の中にも
生じることがあって、
その先駆けの一つが、
「はようせい」だったりするのです。
知人の家に行ったとき、
夫婦と私の3人で
ディナーに出かけたことがあるのですが、
その出がけにあった話です。
化粧に時間がかかっている細君に
玄関で知人と二人で待っていると、
彼はなんだか落ち着かない様子。
そして数分後、一言、
「なにやってんだ、早くしろよ」
と苛立たし気な声を
まだ化粧台の前にいるであろう
彼の奥さんに投げかけました。
彼はとても家事に協力的で、
普段は洗濯物を干したり、
料理を作ったりということを
積極的に行っていて、
奥さんに対して
決して上から見下ろす
亭主関白な男ではありません。
もしかすると彼は、
私を待たせていることに
気を使ったのかもしれません。
ともかく、
少なくとも奥さんに対して、
あまりそういうことを言うとは
思っていなかったこともあって
残念な気持ちになりました。
その昔、存命だった父も、
家族で出かけると時、
母に同じ言葉をなげかけていました。
一つの言葉に集約されて
いろんな意味合いが
込められていたのだろうか、とも
考えたこともあります。
しかし、当然のことですが、
話すペース、睡眠時間や食べる速さ、
そういった諸々のペースは、
人それぞれです。
そうかと言って、
気を使い過ぎてよいこともありません。
道徳的過ぎていいことも
もちろんありません。
急いている時もあれば苛立っている時もあるし、
つい心ない言葉が口をついて
出る時だってあるかもしれません。
「はようせい」はその典型。
ですが、
立場や事情など関係なく、
あたかも『当然のごとく』使っていい
言葉ではないと思うのです。
本当は、ここまで気にすることは
ないのかもしれません。
ただ、個人的には、
理由の如何を問わず
使用することは差し控えたい言葉です。
★
ここまでつらつらと書いてきて、
この言葉に対する自分の中のこだわりが
今も心に巣食っていると感じています。
まだ、
幼稚園児か小学校の低学年の頃の
ことだったと思います。
私を寝かしつけて部屋を出て行った母が、
そのあとすぐ、
隣の台所のさらにその隣の居間で
父の怒鳴り声を浴びていました。
その中にあった「はようせい」という言葉。
それに続く母が泣きじゃくる声が
目をつぶった私の耳に聞こえてきました。
眠れないまま心配を覚えた私は、
布団を出ると隣接する台所に出てきて、
その向こうにいる両親を見ないまま
「喉が渇いたな」と棒読みの言葉を口にして、
水道から水を一杯飲むと、
そのまま黙って部屋に戻りました。
心配だったこと、原因が何だったかなど、
その年齢の子供が尋ねられるはずも
ないものですが、
何十年たった今も記憶に残っています。
泣きじゃくったままの母を父が、
馬鹿だなという感じで、
ばつが悪そうに笑っている表情を
小さな背中越しに感じていました。
何が「はようせい」だったかを考えると
嫌な想像しか思い浮かびません。
そんな言葉の呪縛から、
自らを解き放ちたいと思います。
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ー今回の表紙画像ー
『自作ポテトサラダ』
ときどき無性に食べたくなる。ツナと塩もみしたキュウリと人参入り。

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