最近感動してる?

日々の棚卸

 

「感動した!」

 

若い人は知らないと思いますが、

その昔、当時の総理大臣が

大きなけがを押して優勝した横綱に

土俵上で総理大臣杯と表彰状を手渡す前の

演説?でかけた言葉です。

 

痛みに耐えて、よく頑張った!

感動した!

 

という流れだったかな。

 

還暦前後の年齢だった元総理は、

某ロックバンドのファンであり、

その曲にも感動を伝えています。

 

芸能界で活躍している息子さんも

何かの番組で、こう言っていました。

 

「今日はどんなことがあるんだろう、

どんな感動することが起こるんだろう、

そう思うと翌日がワクワクする」

 

と言ったニュアンスだったような。

 

いいなあと思います。

 

私は政治にも芸能界にも

興味はありませんが、

 

日々感動することがありえて、

それを待ち遠しく感じる毎日を

過ごしているというのは、

ちょっとばかり羨ましいですね。

 

ちなみに、先の元総理は

政界を退いた後も、ゴルフだ何だと

エネルギッシュに活動しているそうです。

 

総理大臣だったということもあって

引退したとしても制約は

いろいろあると思うのですが、

 

感動が日々を覆っているというのは

ちょっとばかり羨ましい

(あ、繰り返してしまった)。

 

人の軋轢につぶされていたり、

気持ちが落ちた日々が続いていたり、

怒りに絡めとられ続けていたりすると、

 

いや、そこまでいかなくても

毎日が忙しなく過ぎて、

生活を振り返る余裕もなかったりすると、

 

およそ、感動で心が動かされる、

ということはなかなかなくなります。

 

そんな状態で振り返ってみると、

最後に心の底から感動したのは

いったいいつだったろう、と、

朧な記憶を遡ることになるわけです。

 

とりあえず時代はさておき、

凄まじく感動したことを記憶の底から

取り出してみると、

 

恋愛が成就したときだったり、

行きたかった学校に合格したときだったり、

素敵な映画を見終わり涙した時だったり、

するのですが、

 

歳を経るごとにそういった経験が

薄くなっていっているのだけは

なぜかリアルに感じてしまいます。

 

その結果なのか、

あるいはそれが結果なのかは

わかりませんが、

 

鶏と卵とどちらが先か、

という話のごとく

 

気持ちがダウンした状態と

感動のない日々が

より縄のように繰り返されます。

 

あれにもこれにも感動していた子供の頃が

まるで嘘のように、

 

あれもこれもが当たり前になっていて、

しかもそれが特に人の関係に

なっていたりすると、

 

負の感動

(という言葉はふさわしくありませんが)、

 

つまり、嫌な思い、哀しい思いばかりに

支配された毎日に身を置くことになり、

 

そんな自分はもはや、

感動したくなくなっていたりも

してはいないでしょうか。

 

こんな辛い胸の痛みばかりが続く

毎日はいらない。

 

こんな嫌な思いばかりが続く

人間関係からは遠ざかりたい。

 

もう、どんな人とも、どんな場所とも

つながりたくない。

 

ボッチの方がずっとましだ…。

 

そんな心持ち自体が常態となってしまうと、

その先には感情鈍麻が待っている

ことになります。

 

いわゆる、すりガラス越しに世界を見る、

というあれですね。

 

繰り返しになりますが、

もし、鶏と卵のどちらが先か、

という話になっているのであれば、

 

なかなか手のつけようが

なくなっているのかもしれません。

 

 

そんな中でも、

できることはあるものです。

 

平たく言えば、

手が付けられるところから手を付けてみる、

ということです。

 

この場でも時折紹介している

『平安の祈り』にあるように、

 

変えられないものは受け入れ、

変えられるものは変えるためには、

変えられるものが何でもあるかを

知ることです。

 

変えられるものが他者ではないことは

確かです。

 

これも時々引用させていただいている

知の巨人ドラッカー氏の言葉を当てはめれば、

問題ではなく機会に焦点をあてること、

ということになるでしょうか。

 

どうにも嫌な人の関係や、

落ちこんでしまっている気持ちなどという、

マイナスを0にするように藻掻くよりも、

 

自らの中で見失い、

再現なく0に近づいていた

胸が震えるような感動のセンサーとシーンとを

プラスにしようとすることです。

 

「心が動かない」ではなく、

「心が動く範囲で心を動かす」

とも言えると思います。

 

別の角度から言えば、

自分の可能な範囲で小さく、

しかし確実に動かすこと。

 

実は、感動はそこら中に

あったりするものです。

 

空の雲の形、暮れなずむ街の色、

日の光が反射する海面のきらめき、

さりげなくかけられた親しみを込めた挨拶、

おいしかったフルーツ、などなど。

 

今こうやってこんな駄文を読んでいる

健康な?身体。

 

きっと、一つ一つは小さくて、

それだけではきっと、

昔の感動には比べるべくもないけれど、

 

その小さいはずの感動の積み重ねは、

単に日々の落ち込みや憤りを

和らげてくれるだけではなく、

 

その蓄積がもたらす気持ちの変化や

それに伴う行動の変化が、

新しい生活や人生に導いてくれることも

ままあるものです。

 

受けられるサービスだったり、

何かの色や音だったり、

耳にする声だったり、

目に入る形だったり、

 

感動はほんとうにあちこちにあります。

 

後は、入ってくるもものを

きっちりと感じ切る感覚だけ。

 

感動するのは他の誰でもない、

私たちなんです。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『自家製ミニトマト』

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